「はい、これ今日の土産なのなー。あ、一応ナマモノだから早く食ってな」 「………」 山本は目の前の人に屈託のない笑顔で紙袋を差し出した。 対して受け取る側、ヒバリは山本を今にも殺めんばかりに睨み付けている。固く噛み締められている唇から言葉はこぼれ落ちそうになかった。 不意にヒバリの視線が動く。目の前の、並盛商店街にある老舗和菓子屋の店名が入っている袋に向けられた。山本の目もつられてそちらに移動する。 ヒバリはがさりと音をたてて袋の中身を取り出した。小さな箱が出てくる。蓋を開ければ愛くるしい鳥の形の和菓子が姿を現した。 「そこの美味いんだぜー。知ってっか?」 「…知ってる」 並盛でも名高い店だ。不満げに唇を尖らせながらもヒバリがそれに手を伸ばしたのを見届けて、山本は応接室のソファーに座り込んだ。 「今日もまた雨。梅雨とはいえヤんなるのなー」 「僕は君が此処にいる方がヤだよ」 「まーまーそうおっしゃらずに」 そう言って山本は机に勉強道具を広げた。 梅雨入りした並盛は雨が続いている。週間予報は傘ばかりだ。 屋外で活動出来ない野球部は教室や廊下で筋トレやら走り込みをしていた。しかし4日前、湿気で滑りやすい廊下で転倒した部員が怪我をした。それ以降、簡単な筋トレだけで部活を切り上げることになっている。 空いた時間に何をしようか。ちょうど考えていたときに担任に成績について小言を言われた。 折角だから勉強しよう。山本の頭に浮かんだ場所は自室、教室、図書館でもなく応接室だった。 「大体なんで此処でやんの。意味わかんないんだけど」 「ん?あー、適度に静かで集中出来そうじゃね?」 「君が使っていいところじゃない」 「だから、使わせてくださいお願いしますって土産持ってきてるだろ?」 「………」 ちらりとヒバリの前の和菓子を見てからヒバリを見遣れば、ヒバリは不満そうに唇を尖らせた。 山本だって正面から手ぶらで言って勉強させろなどと言ったって追い出されることは分かっていた。 そこで思い付いたのが上納品。山本は手土産を持参することにした。品物は、よく知る近所の店でただで調達する。ご近所付き合いは偉大だ。 差し出されたものに手をつけてしまっているためか、ヒバリは力付くで山本を排除しようとはしなかった。山本の作戦勝ちだ。 しばし静寂に包まれた後、顔を上げた山本は窓の外へと視線を移した。 「にしてもホント雨やまねーな。明日も雨らしいぜ」 「無駄口叩かず集中しなよ」 執務机から山本の対面のソファに移動しているヒバリは報告書から顔も上げずに応じた。 「いいじゃねーか。あ、ヒバリ雨好きか?俺は嫌いじゃないのな」 「意外」 「ん?」 「大好きな野球が出来なくなるから嫌いそうなのに」 「あー…そこはな、うん、うずうずしてくっけど」 「どっち」 「こうしてヒバリと一緒に居られっから好き」 一瞬、ヒバリの反応が遅れる。 パタンと手元の書類を閉じた。 「馬鹿じゃないの」 「なんで」 「なんでも」 答えながらまた執務机に戻っていく。山本はそれを目で追ったが、ヒバリが座り込んだのを見届けて今自分の目の前にある菓子箱に視線を移した。 ヒバリがソファに来たときに書類と一緒にローテーブルに持ってきていた。 「なぁ、一個食っていい?」 箱を手に尋ねる山本を、ヒバリは冷ややかに見遣った。 「それお土産じゃなかったっけ」 「え、土産って普通自分の分も込みじゃね?」 「知らないよそんなの」 「いただきまーす」 「………」 もぐもぐと口を動かす山本を見ながら、ヒバリは腰をあげようとしなかった。ほんの少し尖った唇が不満そうだが怒ってはいないらしい。 「失礼します」 ノックのあと、開かれた扉から入ってきた人は山本の姿を認めて眉を寄せた。 「ちわーっす。お邪魔してます。あ、これ土産。食います?」 「食べながら喋るな」 山本とヒバリ以外の第三者、草壁に箱を差し出した山本をヒバリがぴしゃりと一喝する。 それから草壁に視線を向けて何の用かと目で問うた。 草壁は並中生が下校中に車と接触しただとか、湿気た廊下で足を滑らせた生徒が転んで怪我をしただとか、校内の大事から小事まで報告する。 口のなかを空にして山本が口を開いた。 「やっぱ廊下危ないのなー。なぁ、もう一個食っていい?」 12個入りの饅頭はあと9個残っている。 「勝手にしなよ。副委員長、それで?」 短く返事をした草壁は報告を続けた。 去り際に草壁はちらりと山本を見たが、何も言わずに立ち去った。ヒバリが許容している以上、口を出すべきではないと考えたようだ。 扉が閉まるまで見届けて、山本は言った。 「これお茶欲しくなるのな。給湯室って職員室にしかねーの?」 「ないよ」 「じゃあ次からはお茶も持ってくっから」 「次なんかもうない」 「ハハッ、まだまだ雨っぽいぜ」 「………」 天気ばかりはヒバリも抗いようがない。 黙り込んでしまったヒバリに山本は笑顔で尋ねた。 「明日の土産は何がいい?」 予報通り、黒に近い灰色の空からは水滴が断続的に落ち続けている。 山本はわざと、それでもバランスを崩さないように廊下を滑りながらすっかり通い慣れた道を鼻歌混じりに進んでいく。 「…んん?」 いつもの扉の前に黒ずくめの人を見つけて首を傾げる。 リーゼントの多い風紀委員のなかで一際立派なリーゼントがよく目立っている。 「草壁さん」 「山本」 声をかければキリッとした目が向けられた。 山本が何か言うよりも草壁の方が早かった。 「委員長からの伝言だ」 「ヒバリから?」 「『これをやるからもう邪魔しに来るな』」 「これ?」 「これだ」 後ろに組んだ手が解かれ、差し出されたのはてるてる坊主だった。 キョトンと目を丸くした山本はそれを受け取ると目の高さまで吊り上げてまじまじと眺めた。 360゜、何処から見てもなんの変哲もないてるてる坊主だ。書かれた顔が幼子が作ったものを思わせて愛らしい。 「ヒバリが作ったんスか?」 「そうだ」 「へぇ…」 草壁の言葉にまたてるてる坊主に目が向いた。せっせとこれを作るヒバリの姿を思い描いて顔が綻ぶ。 山本はぱっと顔を上げると満面の笑みを草壁に向けた。 「ヒバリに『サンキュー』って伝えといてください。あ、これ今日の土産ッス。あとお茶、水筒に入ってるから飲んでくれってのも伝えてください」 じゃ、と山本は鼻歌混じりに立ち去った。 今日もよく滑る足元に気をつけながら、ふと無意識にてるてる坊主を翳して眺めている自分に気付く。 「ヒバリも可愛いとこあんのな」 てるてる坊主なんて、何時ぶりだろう。昔は試合前になるとよく作ったものだけど、近年はまるで記憶にない。 「明日は晴れっかなぁ」 週間予報は明日も雨だったけれど。晴れた日にはお礼に行こう。うちに招いて寿司でもご馳走しよう。剛もきっと笑ってなんでも握ってくれる。 そんなことを考えながら、山本はまた指先から吊るされた変わらない微笑みを眺めた。 |