「かくれんぼやらね?」
「やらない」
満面の笑みで持ち掛けた提案は瞬殺された。
応接室の机に頬杖をついて、ヒバリは目の前にいる山本から視線を外した。山本はニコニコと笑みを絶やさないままヒバリを見つめている。
「ルールは見つけてタッチしたら鬼の勝ちなのな。逆に逃げ切ったら逃げてる方の勝ち」
「それかくれんぼじゃないよ。そもそも僕はやらないって言ってんだけど」
「敷地は学校内全部。隠れながら逃げるのも有りな。時間は下校時刻まで。チャイム鳴ったら終了帰宅。それでいいか?」
「よくない。咬み殺すよ」
「まぁまぁ。俺が鬼やっからヒバリは逃げてくれよ。10数えるのな。いーち…」
「咬み殺す」
トンファーを構え立ち上がったヒバリに山本はカウントを止めた。笑みの質を変える。少し、遠くを見るような眼をしてヒバリを見つめた。
「もう顔見せねぇから」
落ち着いた声にヒバリはトンファーを握りしめたまま山本を見つめ返した。互いの視線は拮抗し、どちらもぶれることはない。
「ヒバリが勝ったら俺もう此処に来ない。これが最後にする」
「………」
開け放たれた窓から下校する生徒の声が舞い込んできた。
ヒバリが笑った。
「いいよ。受けてあげる」
山本も笑った。
「そうこなくっちゃな」



昇降口に移動して、二人は向き合っている。
朗らかな笑みを浮かべて山本は今一度ルールを確認した。
「ルールはさっき言った通り、範囲は学校内。基本はかくれんぼだけど、見つかってもタッチされなきゃオッケー。下校のチャイムがなったら終了。そのまま帰っちまっていいからなー」
「わかった」
「よし。じゃあ数えっからヒバリは逃げ…」
「ねぇ」
ヒバリに背を向け下駄箱と腕で視界を隠そうとした山本に、ヒバリは声をかけた。
直ぐさま山本は振り返り、笑顔のまま小さく首を傾げてみせた。
「ん?」
「なんで君が鬼なの?」
「………」
「僕が鬼でもいいけど」
話し合いもジャンケンもせずに決められた役にヒバリは疑問を抱いた。だから尋ねた。それだけだ。
ヒバリの問いに山本は少しだけ困ったように眉を下げた。それから視線を彷徨わせ、曖昧な音を紡ぐ。
はっきりしない態度に痺れを切らしたヒバリがぴしゃりと一喝すれば山本は笑みを少し薄くした。
不意に変わらない二人の距離が遠ざかる。
「逃げてくれよ。俺から」
ぽつりと、山本は言った。山本の瞳に映るヒバリは真っすぐに山本を見つめ返している。
「僕が逃げるなんて有り得ないよ」
きっぱりと言い放つ。その言葉に山本はくしゃりと破顔した。
「ハハッ、だな。ヒバリは逃げねぇよな」
響く笑い声が細まるのに比例して山本の目もまた何処か遠くに向けているようなものになった。
笑みを作る唇が静かに言う。
「でも、今だけは逃げてくんね?ヒバリが逃げ切ってくれたら、俺はもう手ぇ出さねぇから」
頼むと一言付け足されて、ヒバリは唇を尖らせてしばらく山本を見つめていた。それからくるりと踵を返し歩き出す。ふわりと肩に羽織っている学ランが揺れた。
「………」
それを姿が視界から消えるまで見送って、山本は1から数えはじめた。
―――もういいかい?もういいね?
カウントを終えて伸びをした。
「よっし、行くか―」
腕の筋を伸ばし、屈伸する。準備運動を済ませ、山本はヒバリが消えた方向へと視線を向けた。
走り出したりはしない。足首を解したりしたのは癖のようなものだったし、そうすることで集中力が増す気がするだけだ。
真剣な眼差しで先を見据える。ヒバリが行きそうな箇所を目指しながら、途中の教室を覗いて行くことにした。
まだ残っている生徒達が楽しげに雑談しているのを見遣りながら目的の影を捜す。
廊下の窓からグラウンドを覗けば部活動に勤しむ陸上部が見えた。
今日野球部が休みなのは顧問の都合だ。だから山本はこうしてヒバリとかくれんぼをしていられる。最初は部活動がなくなることにガッカリしていたけれど、今を思えば顧問に感謝したいと思えた。
「何ー処にいっかなぁ…」
そう呟く山本は笑みを浮かべている。



隠れる、と言っても逃走経路を確保できないような場所に入り込むつもりはない。
ヒバリはキョロキョロと辺りを見回していた。逃げるという選択肢が脳内になくとも、逃げ方を知らないわけではないのだ。
普段、余り立ち入らないような校舎裏などに顔をだせばたむろっていた不良グループが慌てた。顔色を変え逃げだそうとする。
それをヒバリが逃がす訳もなく一人残らず咬み殺して草壁に片付けるよう連絡した。自分が引きずっていっても構わなかったけれど、今はなるべくなら人目にもつかない方がいいだろう。
二人だけのかくれんぼだなんてくだらない遊びだとは思うけれど、ヒバリに負けるつもりはない。
それにしてもちゃんと見回っているつもりだったけれど、案外見落としていた場所があるものだと並中の風紀を守れずにいた自分に舌打ちをした。
こうなったらいつもは風紀委員に任せてしまっている場所も巡ってみよう。そうしよう。
そう思い至ったヒバリは山本との勝負を忘れかけていた。
―――まぁだだよ。まだ待って。



真剣な顔で何処かへと急ぐ草壁を見つけ、山本は閃いたような笑みを浮かべた。そっとその後をつけてみる。
きっと草壁はヒバリに呼ばれたのだ。だから草壁の行く先にヒバリはいるに違いない。
少し狡いような気がしたけれど、ルール違反ではないからいいだろう。
「山本?何してんの?」
「!」
視界の外から声をかけられ、そちらに目を向けた。綱吉が不思議そうな顔をして山本を見つめている。怪しむ、とまではいかないが少々戸惑いの表情を浮かべていた。
そんなに怪しい行動をしていたかな、と山本は苦笑しながらもその視線に笑顔で応じた。
「ヒバリとかくれんぼ。ツナ、ヒバリ見てね?」
「見てないけど、どうしてそんな…」
二人でかくれんぼなんてやって楽しいか、とか、そもそも何故ヒバリが相手なんだとか綱吉はいくつも疑問を抱いた。けれど一つたりとも口には出来なかった。
山本がつま先の向きを変えたからだ。
「まぁそーゆーわけなのなー。ヒバリ見かけたら教えてくれ」
「あ、うん。頑張って」
「サンキュ」
山本は手を振り前を見た。草壁の姿はもう何処にもなかった。



ヒバリは裏門の前にいた。校内で最初に見つけた以上に風紀が乱れたところはなかったので、今度はこのまま校外に足を運ぼうかと一歩踏み出し立ち止まった。
今は山本とのかくれんぼの最中だ。範囲は学校の敷地内。この外に出ることはルール違反だ。
正直、ルールなんてどうでもいい。どうせ最後まで捕まる気などないし、終了時刻を告げる鐘が鳴れば落ち合うことなく帰るのだ。だったら今学校を離れても大差ない気がしてくる。
「………」
裏門を見つめながら瞬きを繰り返す。一歩踏み出した。



下校時刻5分前の放送が3分前に流れた。あと2分で終わりを告げる鐘が鳴る。
「…あーぁ」
山本は溜め息をついて頭を掻いた。
屋上に行って、そこから敷地内を見回してみたりいろいろと動いた。一回、学ランの裾が見えた気がして必死に駆け出したがその影を掴むことは出来なかった。
「しゃーねぇか…」
もう彼の前に現れない。約束は守るつもりだ。教室に戻り荷物を取ると下駄箱で靴にはきかえた。とぼとぼと校門に向かう。
無意識に零れおちた溜め息を自覚して、自分が俯いていることに気づく。意識的に視線をあげた。
今気づいたが、下校する生徒たちが委縮している。校門のこちら側、門に凭れかかり人の流れを眺めている存在のために。
「ヒバリ…」
呟けばこちらを向いた。目が合う。肩にかけていたカバンが落ちた。走り出す。周りなんて気にしない。
そして学ランごと思いきり抱きしめる。ヒバリが口を開くより先に、下校のチャイムが鳴り響いた。



(やっと見つけた捕まえた。もう逃がしたりしないよ)