風呂上がり、濡れた髪を拭きながらふと目を向けたカレンダー機能付きのデジタル時計の隅に04/01という数列を見とめ、山本は呟いた。
「あー…、今日はエイプリルフールだったのな」
「へぇ。そうなの?」
「ほら」
「ホントだ」
山本は髪を拭いていたタオルを首にかけると空いた手でデジタル時計を持ち上げヒバリに見せてやる。
一番右端の数字を2に変えた時計を見て山本は少しばかり残念そうに笑った。
「もうあと8分で今日も終わりかー。なんか嘘吐けばよかったな」
言いながらキッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しヒバリのいるリビングに足を向ける。
「別に嘘をつかなきゃいけないわけじゃないよ」
「まぁな。でもなんか折角許されるんだからさ。なんか吐いておきてーじゃん」
「ふぅん」
さして興味もなさそうな相槌のあとに「僕なら別に許されなくても吐くけどね」と付け加えられ、ヒバリの対面のソファーに座った山本は声をあげて笑った。
「あはは。まぁ確かにそうだよな」
嘘をついてもいいと言われると逆に頭を使って嘘をつけなくなるだの、昔こんな風に騙されただの、語る山本にヒバリは目を向けない。
山本もヒバリの方は見ておらず、ペットボトルを机に置くと代わりに机の上に置いてあったリモコンで沈黙していたテレビの電源を入れた。
そしてすぐさま音量を下げる。うるさいという文句をヒバリに言わせないためだ。
二人は視線を交わらせることなく、それでも山本はヒバリにエイプリルフールに纏わる何かしらを話しかけ続け、ヒバリはそれに簡潔に応えていた。
「ヒバリはなんか嘘ついたことあるか?」
「あるんじゃない?ぱっとは思いつかないけど」
「うーん、確かにヒバリに嘘つかれたことねーかも」
「それは気のせいだと思うけどね」
「マジかよ」
さらりと言われた言葉にショックを受けたように目を見開いた山本はそのまま座っていたソファーの背もたれにもたれた。
無気力に屍のような様態を晒す山本をほんの少し上げた視線で見やりながら、悪びれた様子もなくヒバリは目の前の新聞にまた目線を落とした。そしてほんの少し唇の端だけで笑みを浮かべる。
「知らない方が幸せだった?」
「カモ。あ、でも知ってた方が…や、あー、でもなー…」
「鬱陶しいよ」
「あ、ヒバリもう寝んの?俺も寝る寝る。ちょっと待って」
ばさりと畳んだ新聞を机に投げたヒバリに反応して山本は先ほどまでの態度が嘘のように体を起こした。立ち上がり片手で自分のペットボトル、もう片手でヒバリが放り出した新聞を拾い上げる。
ヒバリは小さく欠伸をすると山本を待つことなく部屋への扉に向かおうとしたが不自然に足を止めた。
「………」
そのままの姿勢でしばらく瞬きだけを繰り返したかと思うとキッチンにいる山本に視線を向けた。
「ねぇ」
「ん?」
ヒバリに呼ばれて顔を出した山本をヒバリは指先だけで手招きする。
「どした?」
警戒心の欠片もなくヒバリに近寄っていく山本の問いかけを無視してヒバリは一歩だけ足を進め、二人の距離をぎりぎりまで近付けた。
寄せた耳元で囁く。
「愛してるよ」
唐突な言葉に目を丸くする山本に、ヒバリは悪戯に笑うと「おやすみ」とだけ言って部屋を後にした。
取り残された山本はヒバリの気配が残る首筋の皮膚を擦りながら、ちらりとデジタル時計に目をやった。
04/02 00:02 a.m
そんな秒が刻々と変わる時計を見ながらひとり呟く。
「…エイプリルフール終わってっけど」
気づいてた?分かってた?それとも許される嘘のつもりだった?
心の中で山本は問いかけていた。けれどそれはヒバリにではなく、自問自答に近いものでしかない。
『嘘をつかなきゃいけないわけじゃない』
ヒバリの言葉が甦って山本の頭は更に複雑に絡み合っていく。
「まいったなぁ…」
そう零した山本の唇は、それでも笑みを作っていた。



(嘘でもいいよ。嬉しいから)