一緒に暮らしているけれど、マイペースな二人が家のなかで顔をあわす機会は少ない。
本当に同じ屋根のしたで寝食を共にしているのかと思いたくなるくらいだが、お互いそれに何かを言ったりはしない。
必要以上に干渉しないという不可侵条約は最初から結ばれている。
それでもせめてとばかりに二人を繋ぐのは、いつもリビングのダイニングテーブルに残されるメモのような手紙だった。
今日もまた、帰宅したヒバリはネクタイを緩めながらテーブルに視線をやり、そこにある小さな紙に目を留めた。
「………」
近付いて手にとる。見慣れないメモ用紙にそういえば前のは無くなったのだとぼんやりと思う。
『おかえり、冷蔵庫にもらったゼリー入ってるからよかったら食って。山本武』
少々読みづらい字で記されているのは別にどうでもいいような内容だ。
冷蔵庫の中身は名前を書いておかないものなら互いに気にせず食べていいというルールを予め決めてあるのだから、こんなメモとして残されなくても勝手に食べるということくらい山本も分かっているだろうに。
無造作に机に戻してヒバリは台所に向かう。冷蔵庫の扉を開ければ確かに家を出るときはなかったゼリーが積んである。
ミカン、モモ、ビワ、何種類かあるが選ぶのも面倒で適当に一番上にあったミカンを手に取った。
それとスプーンをとってリビングに戻る。もうテーブルの上のメモには目を向けない。
その代りに南に面した日当たりにいい窓に目をやった。そしてそこに静かに佇む白い封筒を見とめヒバリはそれを手に取った。
何の変哲もない、白い封筒だ。封はされていない。宛名も差出人も記されていない真白なそれは光に透けて中身が黒い影となり浮いていた。
ヒバリはゼリーとスプーン、それに封筒を手にしてソファに向かった。埃が舞うだとか、全く気に留める様子もなくどっかりと座り込む。
封筒から中身を取り出す。封筒同様に白い便せんが出てきた。だがヒバリはそれを机に放り出すとゼリーの方を手に取りなおした。
スプーンをくわえてゼリーのフィルムを開ける。不器用な力加減に中の汁が机に零れたが、ヒバリは構わずにくわえていたスプーンを手にもった。
よく冷えたゼリーを口に含めば程よい酸味と触感が口いっぱいに広がる。味わいながら、二口目を運んだ。
山本のメモにはもらったと書いてあったが、何処で誰からもらったかまでは書いていなかった。
別に誰からもらったものでもいいとは思う。対面でいたら絶対に聞かないだろう。だがどうせメモを残すのだったらそこまで書いておけばいいのにと思いながら、 ヒバリは放置していた便せんに手を伸ばした。
雲雀恭弥様。そんな書き出しの手紙の字は机の上に置いてあるメモと同じ筆跡だ。
お元気ですか。俺は元気です。と、言いたいところだけど実は先日、シチリアでの会談中に敵対組織に急襲されちょっと怪我したりその後始末等々でバタバタしてたりとあんまり元気じゃありません。
疲れるとヒバリの声が聞きたくて、たまらなくなります。声は聞けなくてもせめてヒバリの顔でも見れたらと思い、三日うちにいましたがあいにくタイミングが合わなかったようで残念です。
「………」
文字を目でなぞっていたヒバリは小さくため息をついて一度便せんから目を離した。読んでいる最中くわえっぱなしだったスプーンでまたゼリーを掬う。
声が聞きたいというのなら、電話をかけてくればいいのだ。会いたいというのなら、別にこの家以外で都合を合わせればいい。
「…馬鹿みたいだ」
くだらない内容だ。そう切り捨てながら、ヒバリは文章が続くのに従って手紙をめくった。



2週間ぶりの自宅に、山本は無意識に溜息をついた。
この2週間、ボンゴレの保有する別宅や、同盟ファミリーの客間、ホテルを転々としていた。
どれも広く立派で綺麗だったけれど、やはり自宅というのは何か特別なものがあるのか、やけに落ち着く。
「ただいまー」
返事はない。靴もないから、ヒバリはいないのだということはわかっていたが、ありえない返事を期待して言わずにはいられない。
肩を揉み、首を回しながらリビングに向かう。ダイニングテーブルに目をやれば小さなメモが残されていた。
『おかえり、冷蔵庫のゼリー、全部食べたから。ヒバリ』
「マジかよ」
確か4種類を各3つずつ、12個あったはずで山本は一つも食べていない。冷蔵庫を覗いて見ればメモ通り、入れたはずのゼリーは一つ残らず姿を消していた。
「ヒバリがゼリー好きとか聞いたことねーけどなぁ…」
好きだったのかなぁと首を傾げながら山本はリビングに戻る。机の上のメモをポケットに入れて、次に窓辺に向かった。
淡く萌黄に色づいた封筒は見覚えがないものだった。
「新しい奴なのなー。ふーん、綺麗な色」
裏返して見たりしながら山本は上機嫌でソファに向かう。封がしてあるそれをペーパーナイフで器用に開けて、中身を取り出していそいそと広げた。
山本武様。そんな書き出しを見つめるだけで山本の頬は無意識に緩んだ。
怪我をされたそうですがお加減はいかがですか。君はたまに強引にことを進めようとするので、自分では平気だと思うことでも一度沢田綱吉でも獄寺隼人でも相談することをお勧めします。
僕の方は少し暇ができたので、12日ほど家でゆっくりしているところです。
「えぇー…。入れ違いかよ…」
山本が家を空けていた期間に丸々ヒバリは家にいたのだと知り山本は肩を落とした。無理にでも帰ってくればよかった。そう思ってももう過ぎたことなのでどうしようもない。山本は眉を下げながら続きに目をやった。
何時の頃からか始まった自宅内文通。始まりは山本がヒバリにメモを残したことから始まったような気がする。
二人で一緒にいたとき、先に山本が家を出なければならず、ヒバリの寝顔に名残惜しさを感じながら泣く泣く「行ってきます」と書き残しておいた。
そうして帰ってきたとき、ヒバリの姿はすでになく、代わりに「おかえり」の文字だけが残されていた。
嬉しくてまたヒバリにメモを残した。そうしたらまた返事が置いてあった。
いつの間にかそれに窓辺に近況報告を綴った手紙が加わることになる。メモは電話台の横にある共用のものだが、この手紙の封筒と便箋は各自用意するものだ。
自分のものはいつも無地のクラフト紙だったりする素っ気ないものだが、ヒバリのはワンポイント季節を感じさせるものが入っていたり、無地でもこのように色づいていたりと心配りが感じられる。
もしかしたら草壁が選んでいるのかもしれないな、とも思うがきっとヒバリが自分で選んでいると山本は意味もなく確信していた。
本当はこんな手紙ではなく、声が聞きたいし姿を見たい、この手で触れたい。
けれど、ヒバリとの距離感がよく分からない。昔は相手がどんな反応を返しても気にも留めず自分の心を伝えることができたのに。
すっかり臆病になってしまったと山本は小さく自嘲しながら自室に行き、机の引き出しを開けた。今までヒバリが残した手紙を一つ残らず取ってある。
ヒバリは山本の手紙をどうしているのか前に尋ねたことがある。他の奴からのであろう手紙を焼いているのを見たからだ。
『僕宛てのものを僕がどうしようと君には関係ない』
冷たくそう言い放たれてしまった。捨ててるのかもしれないが、山本が帰宅したとき家のごみ箱は常に捨てられているので山本は自分の手紙がごみ箱に入っているのを見たことがない。
それがせめてもの救いだなと思いながら、新しい手紙を引出しにしまい込んだ。



帰ってきたヒバリはいつものようにテーブルに置いてある紙に目を止めた。
「………」
内容などわかっている。おかえり、会いたい、声が聞きたい。そう記されているのだ。いい加減うんざりする。
ヒバリはメモと手紙を手に取ると、読もうともせずに部屋に向かった。そうしてクローゼットの奥から小さな箱を取り出す。
やけに軽いそれは乱暴に引っ張り出したので中身が音を立てた。
ヒバリはベッドの縁に座り込んで蓋を開けた。今まで山本が残した手紙、だけでなくメモまでもが残されている。
この箱の奥底にある最初のメモはくしゃくしゃによれてしまっているが、溜まった手紙の重さで大分しわが伸ばされていた。
最初は捨ててしまおうと思った。こんなものとっておいても仕方がないと握りつぶしてゴミ箱に入れた。
それでも思いなおし捨てたものを拾い上げ、皺を伸ばして箱にしまった自分の気持ちを、ヒバリは自分のものながら理解できずにいる。
こんなもの要らないと思うのに、残さなくていいと思うのに、家に帰って真っ先にテーブルの上を確認してしまう自分に辟易した。
こんなもの要らないと思うのに、ヒバリの細い指先は封筒から便箋を取り出し、真黒な目を文章に向けてしまう。
「………」
読み終えて、ヒバリは箱に手紙をしまうと箱を膝に乗せたまましばらく項垂れていたが何かを決めたように瞬きを一つすると箱を戻し、携帯電話を手に取った。
「哲? 僕だけど、今すぐそこらの便箋と封筒買い占めてきて」



「…なんだこれ」
帰ってきた山本は室内の惨状に目を丸くした。最後家を出たときは綺麗に片づけられていたはずの室内はがらりと姿を変えていた。
家具の位置が移動しているとか、そんなことではない。山本が目を見張ったのは、部屋中に散らばっている封筒だ。
とりあえず犯人は一人しか思いつかず、山本は机に残されたメモに目をやった。
『おかえり。これで最後の手紙にするよ。探してごらん』
「…なんだそれ」
無意識に呟いて、また室内に目をやる。とりあえず手近にあったものを一つ拾い上げて中身をのぞいてみたが、それは全く白紙の便箋だった。
もう一つ、また一つ開いて中を確認するが、どれも白紙だ。
「宝探しかよ…」
これでも任務明けで疲れているのだけれど。山本は覚悟を決めると手紙に挑みかかった。
どれだけそうしているだろう。もう開封した手紙は100を超えたはずだ。だが全て中身は白紙で山本は肩を落とす。
すべてノリで封がしてある上にたまに便せんが複数枚入っているものもあり、それを一枚一枚隅に何か書いてないか確認するのはなかなか骨が折れる作業だった。
ぐったりと疲れ果てながら、期待を込めて最後の一通を開ける。
白紙だった。
「…はぁ?」
床を見回す。手紙という手紙は全てかき集めて開封した。一体これはどういうことだ。山本は釈然としないものを感じ、部屋中を探しまわった。
きっとまだあるはずだ、ヒバリが探せと言った手紙はこんなものじゃないはずだ。ヒバリからの最後の手紙が、きっとまだ何処かに隠されている。
「あ」
顔をあげた山本の視線の先、いつもの定位置にそいつはいた。
「………」
いつも通り、何食わぬ顔で存在する手紙を山本は手に取った。
丁寧に開封して中身を確認する。
そして次の瞬間走り出していた。家の鍵も閉じない。オートロックだから問題はないが、山本の頭には防犯だとかそういったものはなくなったいた。
宛名もない手紙に記されていたのは場所だった。そう遠くない近所の海辺だ。昔はよく行ったものだったが、すれ違うようになってからは行く機会を失っていた。
そして手紙にはその場所の他にもう一言、隅っこに書かれていた場所と違い、それは便箋の真ん中に書かれていた。
主語も目的語もない、簡潔な、それでいて全てを告げるたった一言を握りしめ、山本は朝の街を全力走っていった。



愛してる