中学の頃、野球一筋で生きてきた人生で初めて好きな人が出来た。
それからずっとずっと好きだった。だからそう言葉にして告げ続けてきた。何年も何年も。
そうしたらやっと彼も受け入れてくれる気になってくれたみたいだった。けど。



えもいわれぬ静寂が部屋に満ちていて押し潰されるように山本は壁に寄り掛かり身体を小さくしてうずくまっていた。
少し離れたベッドではヒバリが座り込んでいたが山本はそちらを直視することが出来ずにいる。
シャツ一枚羽織っているヒバリの、闇に浮くほど白い肌に咲く赤い花は山本が散らしたものだ。
抵抗されないのをいいことに自分の望むまま振る舞ったこと、彼の意志など気にも留めていなかったことを今になって酷く後悔している。
抵抗してくれればよかったのだ。嫌だ、やめろと言って殴り付けてこの腕から逃れて距離を取ってくれればよかった。
そうやって無意識にヒバリを悪者に仕立てあげようとする自分を自覚すると、自己嫌悪の波まで押し寄せてもうどうにかなってしまいそうだった。
本当は拒絶されるはずがないという確信のうえでの行為だったのだから。
抱きしめる腕から、ヒバリが逃げ出さなくなったのは何時からだろう。
彼を形作る輪郭を確かめ、服越しに伝わる温もりを感じるだけで幸せだったのに。
いつからその思いが違ってきてしまったのだろう。
「…こんなつもりじゃなかった…」
山本は無意識にそう呟いていた。
こんなつもりじゃなかった。
それは心からの言葉だ。
戯れるようにじゃれあうように抱きしめあって温もりを分け合うだけでよかった。
『好きだ』
そう告げたときのヒバリの仕方なさそうな溜め息と少しだけ力を抜いた身体の重みを感じるだけでよかった。
それ以上なんて望んではいなかった。本当なんだ。言葉にはせずただ言い訳を並べる。
押し倒した自分よりも細く小さい身体、じっと自分を見上げた瞳は硝子玉のようで欲に満ちた自分が映りこんでいたけれど、気づかなかったふりをして抵抗のない腕をベッドに縫い付けた。
思い出すほどに瞬きもせず山本を映していた瞳が山本を責め立てる。
「君は何がしたいの。何を望んでいるの」
静寂が際立つような、凛とした声でヒバリは問い掛けた。
何がしたいの。
何を望んでいるの。
そんな風に問い掛けられても、答える術を山本は持たなかった。
だから答えられず黙り込む。
また部屋に沈黙が落ちて、不意に近くに人の、ヒバリの気配を感じて山本は距離を取るようにさらに小さくなった。
ヒバリはただ傍にいるだけで何も言わない。
沈黙が急に息苦しくなって、山本は呼吸代わりに言葉を紡いだ。
「ごめん」
出てきたのはそんな言葉で、結局自分が楽になりたいがためのものでしかなかったが、一度唇からこぼれ落ちた音はとめどなく滴って留まることを知らなかった。
「ごめん、ごめんなヒバリ、ごめん」
「…なんで謝るの」
「なんでも。…本当、ごめんな」
「………」
ゆるゆると顔を上げれば、薄闇に包まれた室内でも一際黒い目と目があった。
決してヒバリが望んではいないことをしたというのに、機嫌を損ねて苛立ちをあらわにすることもない。ただ黙って傍にいる。
感情の見えない瞳に映る酷く惨めったらしい自分を嘲笑えば、ヒバリが酷く傷ついたように見えて愛おしくなって腕を伸ばし抱きしめた。



群れるのを厭うヒバリが、人の愛し方など知るはずもないことを山本は心の何処かでわかっていた。
わかっていて、愛してもらおうとした。
結果、山本が心底好きになり愛したヒバリは少しずつ、少しずつ蝕まれるように変わっていってしまった。
全部、俺のせい。
そう思い山本はヒバリを抱く腕に力を込めた。
ただ愛し、愛されたかっただけなのに。
どうしてこんなことになってしまったの。
口に出し問い掛けても、ヒバリは不思議そうな顔をするだけだろう。余裕そうな笑みを浮かべることも、不機嫌そうに唇を尖らせることもなく、ただ山本を見つめるのだろう。
こんなつもりじゃなかった。
頬を伝う生温い滴が床に落ち、弾けて小さな音をたてるのを山本は何処か遠くのことのように聞いていた。



(笑いあっていられればよかった。その気持ちに嘘はないのに)