「もう日ィ長いのなー」
ぽつり室内に響いた言葉にヒバリは山本を見、それから彼の視線を追い窓の外を見た。
もう7時になろうというのに、まだ空は闇に染まる事なく薄さを残している。
ここ数日雨が続き昼夜問わず曇っていたのであまり意識していなかったが、確かにもう日が長いのだと知る。
「夏が来んだなー」
「…だから?」
何処かしみじみとした山本の声にヒバリはほんの少し溜め息を混じらせながら問い掛けた。
その言葉に山本は視線を外からヒバリに移し、ふわりと笑う。普段の太陽のように明るい笑みではなく、ただ穏やかに。
「なんか嬉しくねぇ?ワクワクするっつーか」
「そうかな」
「そうそう。冬から春になるより、春から夏に変わる方が俺は好きなのな」
「ふぅん」
言いながらヒバリは読んでいた本を閉じ、開け放っている窓を見つめた。入り込んでくる風がカーテンを揺らし、二人を撫でては去っていく。
「これからもっと日が長くなるなんて、なんか信じらんねーな」
「………」
ぽつりと山本が呟いたのをヒバリは聞いていたが、特別反応は返さず藍色が濃くなっていく空を見つめていた。
山本も同じ方向を見つめている。同じものを見ているわけではないと感じていたが、それでも山本は見つめている。
「夏が来たら、スイカ食おうな。洗面所でキンキンに冷やして、花火もやりてぇなー」
次から次へと湧き出る願望を口にする山本をヒバリは見つめ、その言葉に耳を傾けていたが一通り聞き終えるとぽつりと呟いた。
「ほとんど去年やったよ」
同じじゃないかと呆れ混じりにいい、ヒバリは栞が挟んであったところに爪をたてて再び本を開いた。そしてそこに視線を下ろす。そのため、山本が嬉しそうに笑ったのをヒバリは見ていなかった。
「なんだ、覚えてんだ」
「…馬鹿にしてる?」
「いやいや」
視線を上げて、唇を吊り上げてみせるヒバリに山本は首を振った。そんなつもりなどカケラもない。
「もう、二回目の夏なんだよなー…」
「………」
何故だか妙に感慨深く、山本は溜め息のように呟いた。ヒバリは答えない。ほんの一瞬だけ、何か言おうかと逡巡したが思考は形にならず結局唇を固く閉ざして終わる。
ちりん、年中吊り下がっている風鈴が音をたてる。
涼しげなその音は一年を通じて奏でられていたはずなのに、今のだけがやけに響いて感じられた。
「なんか、改めて意識すっと変な感じだな」
照れ臭そうに山本ははにかむ。
お互いに記念日だなんだと意識していないから、共に暮らし始めたのは何月何日だったかなんて即座には言えない。今年のその日、二人は恐らく何事もなく過ごしていたのだろう。もしかしたら仲睦まじくしていたどころか口喧嘩位していたかもしれないが。
「…馬鹿じゃないの」
素っ気なくヒバリは言い放つが、その視線は山本からも手元の本からも逸らされていて、それを見て山本はさらに笑みを深くした。
「去年は特別何処も行かなかったから今年はよー、どっか旅行いかねぇ?北でも南でも西でも、何処でもいいからとにかくどっか」
「目的地くらい決めなよ。相変わらず曖昧な男だな」
「えー、ヒバリと行けんなら何処でもいいや」
「馬鹿だね」
じゃあ明日、階下の猫の尻尾が向いていた方向に行こうと山本は言った。いいよ、とヒバリはそれに頷く。
曖昧だなんだと言う割に、曖昧なままヒバリもついて来る。
「よっしゃ、じゃあ金貯めとかねぇとなー。楽しみだな」
「別に」
つんと言うヒバリはまた俯いて本を読みはじめる。
そんなヒバリを笑みを湛えながら見つめていた山本はぼんやりと今日の夕飯のことを考え始めていた。



去年やったことは、なんだってもう一度やりたい。全部全部失敗さえも楽しかったことだからだったから。もちろん去年の経験を踏まえ、改良すべきところは直すつもりだ。
去年出来なかったことを、今年はやってみたい。そしてまた来年に繋げていく。
退屈な日常だと、あんたは唇を尖らせるかもしれないけれど、俺は、俺はな。



あんたといると、現在過去未来の全てが愛おしくなるんだ。