もしも世界があんたのためだけにあるとしても



廊下を歩きながらふと向けた窓の外でふわりと揺れる真っ黒な学ランを見つけた 。
山本は思わず足を止めたことを少々後悔することになる。何故ならヒバリが引き ずっている生徒は遠めから見ても可哀相な様相を呈していたからだ。
「あーぁ…」
何しちゃったんだろうなぁと山本は呟く。きっと何かしら風紀を乱すことをして しまったのだろうが、あそこまでされるほどのことではないはずだ。
山本は3階の廊下の窓に頬杖をついて丸い頭を見下ろす。
殺気をはじめ不穏な空気には敏感に反応を示すくせに、ただ見つめているだけで は彼は振り向いてもくれない。
山本はふと、放課後、応接室に行こうと思った。



「で、君は此処に来たの」
「そゆことだなー」
「出てけ」
革張りの椅子にもたれて肘置きに頬杖をつくヒバリはすげなく言い放つ。
そんな言葉は山本も予想済みだったのでニコニコと笑うばかりで腰を上げなかっ た。
ヒバリはしばらく睨むように山本を見つめていたがやがてふいと視線を逸らし、 机にあった資料をめくった。
ぱらぱらと紙のこすれる音が応接室に舞う。
山本はただ目の前に広がる世界を眺めていた。
ヒバリを中心に、その後ろには開け放たれた窓に区切られた青空、穏やかに揺れ るカーテン。静かに佇むのは机や椅子で置かれている観葉植物もしっかりと調和 している。
其処に山本は含まれてはいない。何時だって山本は定位置になりつつある少し離 れたソファに座り、完璧のように見える世界を誰よりも近くから眺めていた。
此処はヒバリの世界だと山本は思う。
山本の視線の先、世界の中心にいるヒバリが不意に山本を見た。目が合う。
「…なんだ、起きてたんだ」
「ん?起きてるぜ」
「静かだから、寝てるのかと思った」
「たまにはなー」
「残念、寝てたら窓から放り投げようと思ったのに」
「それ普通に死ぬだろ〜」
身に迫っていた危険に山本は苦笑する。そんな山本になどヒバリは興味がないよ うでまた目を逸らして書類をめくった。
会話はそれきり途切れ、また静寂が満ちる。
山本はまたぼんやりと目の前の世界を見つめていた。
(あんだけじっと見てたのに、気付いてなかったのな…)
何故だろう、普段ならちょっと視線を向けているだけで気付いて睨み返してくる のに。どうして今日は気付かれなかったのか。
見つめ過ぎて焦点がぶれる。瞬きをしてはっきりさせた。
輪郭を取り戻した世界を改めて見つめ、やはり作り物のように完成された景色だ とぼんやり思う。
此処にあるものは全てヒバリのためにあって、ヒバリに不必要なものは此処に必 要ない。
そう思うと山本だけが異質だ。彼は山本が此処にいることを好まない。望んでく れたことなどない。山本は望んで欲しいと思うけれど。
いつ排除されるともわからない自分の存在に山本はソファにもたれて天井を見上 げた。思わず溜め息が洩れる。
それに反応したのはヒバリだった。
「…なんなの、君。さっきからだんまりかと思えば溜め息ついたり。邪魔だよ」
「まぁまぁそう言わずに。俺おとなしくしてっからさ。ま、どうしても邪魔っつ ーなら」
力づくで追い出せよ。
山本の言葉に、視線が拮抗した。ヒバリは無表情で山本を見、山本は口許に笑み を浮かべている。
ヒバリなら山本の言葉通り力づくで山本を排除することが可能だということくら いヒバリも山本もわかっている。
ヒバリが笑った。少し目を細めて、ほんの少し唇をつり上げる。
「意外でもない気はするけど」
「?」
「君、マゾヒストだったんだ」
「は?」
だから何度殴られても群れるし此処に来るんだ、というヒバリの言葉に山本は慌 てて首を振った。
「ちげぇって!そんなんじゃねぇよ!」
「そう?お望みなら幾らでも殴ってあげるよ。まぁ僕にサディストの気はないけ ど」
愉悦に満ちた瞳で言われてもその言葉に説得力はない。
必死で訴えてなんとか実力行使は免れた山本は先ほどとは違う意味合いを含んだ 溜め息をついた。嫌な汗をかいた気がする。
一息ついて、またヒバリを見つめる。
変わらない世界が其処にはあった。
「―――……」
ヒバリの背後の、窓の外に広がる青空が目に痛い。
繰り返される思考回路。
此処はヒバリのための世界。彼のためだけの世界。異分子な自分。排除されるの を待つだけの存在。わかっている、わかっている。
でも。たとえそんな自分でも―――。
そして山本のなかに生まれる一つの結論。



俺はあんたの 側にいたいよ