見慣れた部屋に、異質な人。 山本が彼を見つけたのは、台風の接近に慌ただしく学校から追い出され、傘など 気休めにしかならずびしょ濡れになりながら帰路についていたときだ。 灰色の重い空は町並みさえも暗く染めて、そのなかでぽつんと真っ黒い存在を見 つけ山本は声を掛けた。 「ヒバリ!」 けれど彼は足を止めてはくれず、そんなことは予想通りだったので山本は名を呼 ぶと同時に走り出していた。 直ぐさま追いついて肩を並べる。ついでに何も手にしていないヒバリを傘の中に 迎え入れた。 「なにしてんだ?こんな雨ん中傘もささねぇで…」 「こんな雨だから、傘なんて無意味だよ。君だってそんなに濡れてる。ささなく ても大差ないよ」 「でもヒバリよりはマシだろ。ヒバリ頭っからびしょ濡れじゃんよ。あーあー… 風邪引くぞ」 「引いたら病院に行けばいい」 「引かないようにするのが大事だろ」 ふいと傘から抜け出ようとするヒバリを、手首を掴んで引き止めた。 ピタと足を止め、すっとヒバリが視線を向けて来る。 「なんのつもり?」 「だから、それじゃ風邪引くって。ヒバリん家が何処にあんのか知らねーけど、 うちもうすぐ其処だから」 だから、うちにくれば? そう言ってみればヒバリは雨で張り付く髪が鬱陶しく、鋭い目付きでじっと山本を見つめた。 雨音に紛れて、シャワーの音がする。 山本はその協奏曲を聞きながらタオルと着替えを目に付く場所に置いた。 「ヒバリー、着替えとか此処に置いとくかんなー」 「………」 返事はない。山本は気にせず脱衣所を後にした。 ヒバリを家に連れ込んで、山本はまず靴を履いたまま上がろうとするヒバリをや んわりと引き止めた。 そういえばツナの家に窓から乗り込んで来たときも土足のままだったと思い出す 。欧米的な生活をしているのだろうか。 ヒバリの日常生活など想像もつかない。 それから頭のてっぺんからぐっしょりと濡れているヒバリを風呂場に押し込める 。案外素直に従ったのはヒバリ自身何か思うことがあったのかもしれない。 学ランもワイシャツもズボンも洗濯可だったのでまとめて洗濯機に叩き込んだ。 ついでに自分のも入れる。 山本はヒバリほど濡れてはいなかったので拭いて着替えるにとどめた。 湯飲みを二つ用意して、自分の分だけお茶を注ぐ。 熱が腹に溜まっていくのがわかる。内側から温められて山本は息を吐いた。 窓の外は真っ暗だ。激しい雨が町を殴り付けている。切れ間ない雲は遠く向こう まで続いていて、まだまだ雨は衰える気配が無い。 「………」 窓辺で空を眺めていた山本は、戸の開いた音に反応してそちらを向いた。 先程までの真っ黒な学ラン姿から一転、スウェットの上下を着たヒバリが現れた 。 「おー、丈とかも平気そうだな。茶ァ飲むか?焙じ茶だけど」 「………」 「んなとこ突っ立ってねぇでこっち来て座れって」 「………」 何処と無く不満そうに唇を尖らせているヒバリだったが、素直に部屋に入り勝手 に山本のベッドに腰掛ける。 山本がそっと差し出した湯飲みは拒否される事なく受け取られた。 雨音は途切れない。 「ひっでぇ雨だな。半端ねぇー…」 「雨、小雨になったら出てくよ」 「台風来てんだぜ?しばらくは強くなる一方だろ。泊まってけって」 「嫌だ」 部屋に差し込んだ閃光に二人は外を見る。雷が光り始めた。音は、まだ届かない 。 音は雨が世界を打ち付けるものばかりで、腹の底に響くようなものも空を裂くよ うな轟音もしない。そのくせチカチカと光り続ける空を思わず二人して見つめた 。 先に空から視線を外した山本がまだ空を見ていたヒバリに目を向ける。室内の明 かりはついているので雷が光っても中の明るさは保たれたままで一瞬足りともさ らに明るくなるということはない。 「ヒバリは雷平気なのな」 「…馬鹿にしてんの?」 「いや?クラスに何人かいねぇ?雷苦手な奴。女子とかよ」 「知らない。それに僕は女子じゃない」 「女子ってのは例えだって」 別に男が苦手だっていいじゃんと山本は言う。 「生憎、苦手じゃないよ」 「ちぇっ。俺もさ、苦手じゃねーんだ。もしヒバリが苦手だったら、ちったぁ逞 しいとも見せられると思ったのにな〜」 「残念だったね」 山本の下心をヒバリは小さく笑い飛ばす。 そんなヒバリの横顔を見ながら、山本は手にしていた焙じ茶に口をつけた。すっ かり温くなってしまったそれを飲みながら、そういえば自分はヒバリの機嫌を損 ねてばかりだと思う。 ツナや小僧の前では、よく笑ってるのにな。 「………」 何がいけないんだろう。ヒバリから視線を逸らして少し考える。 「ねぇ」 「ん?」 「君は風呂に入らないの」 「あー…、忘れてた」 ヒバリを先に風呂場に押し込んで、山本は風呂に入っていない。山本は立上がり 、ドアのところで室内を振り返った。 「入ってくっけど、俺がいねー間に出てこうなんて思うなよ」 「どうかな。雨が弱くなったら出てくって言ってるだろ」 「ダーメ。まず弱くなることもねーと思うけど、勝手にいなくなんなよ。心配す んだろ」 「しなくていいよ」 「無理。しちまうもん」 絶対ダメだからなと念を押し、それ以上ヒバリの返事を待たずに風呂場に向かっ た。 いなくなってやいないか心配で、カラスの行水程度に済ませてすぐ部屋に戻る。 戸を開けて直ぐさまヒバリが座っていたベッドを見やる。だが其処に思い描いて いたような姿はなかった。 「………」 いなくなった。わけではない。ヒバリはベッドの上にいた。寝そべった状態で。 腰掛けたまま上体だけ横にしている。 「………」 寝ているのかと思い、息を殺して中に入った。そっと覗き込めば真っ黒な目がこ ちらを向いた。 「お、起きてた」 「…こんな煩いのに、寝れる訳ないだろ」 「煩いか?」 ふと、ツナが言っていたことを思い出す。ヒバリは葉が落ちる音でも目を覚ます そうだと。 「大変だな。今夜は眠れねーんじゃね?」 「かもね」 「俺が付き合って起きててやろうか」 「いらない」 「つれねぇな」 山本は苦笑する。ヒバリに起き上がる気配はない。 「俺はさ、結構雨音好きなのな。湿気とか、野球出来ねーのはヤなんだけどなん かさ、落ちつかね?」 「別に」 言いながらヒバリは起き上がった。少し乱れた髪を気にすることもなく窓の外を 見やる。つられて山本もそちらを向いた。 「けど」 ヒバリの声に山本はヒバリを見た。ヒバリの視線は真っ直ぐ窓の外に向けられた ままだ。 「嫌いじゃないよ」 「………」 雷が低く鳴り始める。雨がさらに激しくなったようだ。 二人の視線がまた窓に向く。 「…こりゃ当分帰れそうにねぇな〜」 「………」 「ま、ゆっくりしてけって」 「嫌だ」 帰る帰ると言いながら腰をあげないヒバリを横目に気にしながら、山本は今一度 窓の外を見やる。 雨はまだ止みそうにない。 |