今日、家族が増えた。 いや。家族というのはおかしい。そもそも山本とヒバリはただの同居人であって 家族ではない。 二人の暮らすアパートに、新たに共に暮らすものを山本が連れて来たのだ。 「よろしくな〜」 「………」 山本はそいつを抱いてヒバリに挨拶をする。ヒバリは憮然とした表情でそれを見 つめた。 山本の腕の中にいる、黒い猫を。 「タバコのポイ捨てはいけねーよなぁ」 山本は猫に引っ掛かれた傷だらけの腕を消毒しながら言った。ヒバリはそれを沈 黙で返す。 山本によると、目の前でこの猫が煙たなびくタバコの吸い殻を踏むところを目撃 したらしい。火傷した肉球を治療してやろうと連れ帰って来たのだそうだ。 抵抗され引っ掻き傷だらけにされた腕を見ながら「人見知りらしいのな〜」と笑 う山本に「馬鹿じゃないの」と返しながらヒバリは特に何も言わない。 猫を捨ててこいとも、このまま家においてやろうとも。 ヒバリはまるで猫の存在など気にせずに日常を送る。視界にその真っ黒な存在を 満足に入れていないようだった。 猫もヒバリに距離をとってその様子を伺っているようだ。 気にしているのに気にしていないふり。 少し離れた位置で一人と一匹を見守っていた山本はその様子におかしそうに笑っ た。 風呂場から水音が聞こえる。 今、1Kのこの部屋には猫とヒバリしかいない。 ヒバリは天気予報を見ていた目をちらりと黒猫に向けた。 ヒバリを見ていた金目とヒバリの黒い目が直線で結ばれる。 「………」 「………」 「………にゃー」 ぽつり、ヒバリは呟く。猫の尻尾が揺れた。 瞬間ヒバリは右手で側にあった山本の雑誌を掴むと勢いよくそれを投げ付けた。 丸くなっていた猫が直ぐさま臨戦態勢に入る。 「おっと」 雑誌は猫ではなく、風呂場から出て来た山本に投げられていた。 山本は難なく受け止めて愉快さを隠さない。 「やっぱ猫気になってたんじゃんか」 「別に気にしてないよ」 「ふーん」 「…何その態度」 「別に?」 笑顔のままの山本にヒバリは何か言いたそうに視線を向けたが口を開くことはな かった。 山本はすっかり警戒していまった猫を「チッチッチッ」と呼ぼうとする。だが猫 は毛を逆立てたまま近付いて来てはくれなかった。 「ちぇー。なぁ、あいつの名前何にしようか」 「…飼う気なの?」 ヒバリは火傷が治ったらまた手放すものだと思っていた。 「ん?どうするにしても名前は必要じゃね?呼べねーじゃん」 「猫で十分だよ」 「えー、なんか素っ気ねぇじゃん。タマとか」 「やだよ」 「じゃあヒバリはどんなんがいいんだよ」 「………ポチ」 「ポチ?!」 その後黒猫の名前は結局黒いからクロと在り来たりなところで落ち着いた。 「クロ〜、クロクロクロ…」 「うるさい」 餌を手に呼べばクロは寄って来る。 カツカツとクロが餌を食べる様を二人で見つめた。すっかりなついたクロは二人 の視線にも動じない。食べ終えると読書をしていたヒバリにすり寄って喉を鳴ら した。 彼女はたいそう気紛れで、構ってやろうとすれば逃げ、放ってやると近付いてく る。 だから構いたがりの山本はよく逃げられてしまうのだが、自分から触ろうとしな いヒバリにはしょっちゅう隣りに侍っている。 「なんかすっかりなついちまったな〜」 もうすぐ山本がクロをここに連れて来た理由、火傷は治りそうである。治ったら また手放そうなどと思えない程に愛着が沸いてしまったように思えた。 手放したくねぇなぁと呟く山本にヒバリは視線を向けた。 「このまま飼う気?」 「どうしよっか?」 「僕に聞かないでくれる」 言いながらヒバリの指先はクロの喉を撫でている。 どうしようどうしようと思っているうちに、この生活は強制的に幕を下ろされる ことになった。 「…飼い主?」 「そ。クロ、飼い猫だったみてぇ」 山本はクロを探していると言う手書きのポスターが貼ってあるのを見たのだ。首 輪がなかったので野良猫かと思い込んでいたが実はそうではなかったらしい。 飼い猫なら本来の飼い主に返してやらねばならない。 明日飼い主のところに連れて行こうと思うと言う山本に、ヒバリは「そう」とだ け答えた。 翌日、山本はクロを連れ帰ってきた人同じように抱いて部屋を出ていった。 帰って来た時、もちろんその腕は空になっている。 「………」 ヒバリはそのことについて何も言わない。代わりに山本が少し哀しそうに笑った 。 「なんか寂しいな〜。短い間とは言え、結構可愛かったな。ヒバリは?」 「別に」 「えー」 「いないのが当たり前なんだから、そんなこと思う方がおかしいんだよ」 「そうかぁ?」 「そうだよ」 「そっか…」 「………」 ちらりとヒバリの横を見ても、今はもう誰も何もいない。 「…なぁ、俺らもうどん位一緒に住んでるっけ」 「…さぁ?」 ほんの少し、一緒にいただけの猫一匹が、いなくなっただけでこんなにも寂しい なんて思わなかった。 「俺、もうヒバリと離れらんねぇかも」 「馬鹿じゃないの」 「ん。馬鹿でいいや」 だから、側にいような。 山本の言葉にヒバリは何も言わなかった。いいよとも、嫌だとも。 ただ黙って、山本の喉をくすぐった。昨日まで猫を撫でていた指先で。 こんなにも側にいるあんたが、君が、もしいなくなってしまったら、俺は、僕は、どれくらい寂しい思い をするのかな。 |