鼻歌混じりにごそごそとなにやら作業している山本をヒバリはちらりと見やった 。 山本はヒバリに背を向けているため、ヒバリは何をしているのかよくわからない 。だが山本の身体に隠れきらない机には新聞紙が見える。先程から紙が擦れ合う 音がしている。 「………」 ヒバリはしばらくご機嫌な山本の背中を見つめていたがまぁいいかと視線を逸ら した。 そのまましばし部屋に山本が作業する音だけが舞う。 「よーっしゃ」 不意に山本が声を上げ少し丸めていた背筋を伸ばしてもヒバリは気に止めなかっ た。ただ黙々と手元にある小説の文字の羅列を目で追っていた。 「ヒバリ、ヒバリ」 呼ばれてやっと目だけ山本に向けた。 「じゃーん」 「………なにそれ」 笑顔の山本が手にしていたのは、新聞紙で作られた兜だった。 ちらりと視線を山本の背後にずらせば萎びた兜の残骸がいくつか放置されていた 。 「今日こどもの日だろ〜。やっぱ兜とこいのぼりくらいわな」 ほら、と山本はさらに小さなこいのぼりをヒバリに見せた。 お菓子のおまけについていたものらしい。 「にしても結構折り方忘れちまってるもんだな〜」 やっと折れたと満足げな山本は紙製の兜を被れるように広げ、片手でヒバリに渡 し、もう片手で自分の頭に乗せた。 ヒバリはとりあえず受け取りはした。が、被らない。何処か距離のある目で山本 を見つめた。山本は少しも意に介さない。 「んじゃ買い物行くか」 「何を?」 「こどもの日っつったら柏餅だろ」 だからスーパーまで一緒に買いに行こうぜという山本の言葉に、ヒバリは少し山 本を見つめ、読んでいた本にしおりを挟んだ。 目的の柏餅の他にも広告の品を買い込んで、ついでに昼食を飛ばして夕飯の材料 も買わないとと気付けばカゴ一杯に買い物をした。 金が足りなくなるかもと冷や汗をかいていた山本にヒバリは首を傾げる。 何故なら財布にはまだゆとりがあるのをヒバリは知っていたからだ。金が足りな くなるわけがなかった。 帰り道、大量の荷物を提げた山本はふと足を止めた。訝しげに山本を見たヒバリ を振り返って目の前の店を指し示した。 ヒバリが視線をやった先にあったのは小さな洋菓子屋だった。山本が笑顔で言う 。 「ケーキ買わなきゃな」 「…なんで」 「誕生日にはケーキだろ」 「………」 さも当たり前のように山本はそう言い放った。 朝から一度もその話題に触れなかったくせに。ヒバリは黙り込んで少し唇を尖ら せる。 別に祝ってもらいたかったわけじゃない。だけど今まで今日はこどもの日という ことにしか触れてこなかったのだから、いっそのことこのまま今日を終えればよ かったのにとヒバリは思う。 「ヒバリ?」 黙り込んだヒバリに山本は不思議そうにヒバリの顔を覗き込んだ。 「どした?」 「いらない」 「え?」 「別に、いらない」 すたすたと先に歩いていくヒバリを山本は早足で追いかけ直ぐさま肩を並べた。 「なんだよ〜。ケーキなくちゃ誕生日って感じでねーだろ?」 「出さなくていいよそんなの」 「ダーメだ。今日はヒバリの誕生日なんだから、ヒバリが生まれてきたことに感 謝してケーキ食うんだ」 「君がケーキ食べたいだけじゃないの」 「んなことねーけど」 「じゃあ僕がいらないって言ってるんだからいらないよ」 そんなやり取りをしている合間にもヒバリは足を止めず進んでいて洋菓子屋から はどんどん離れて行く。 山本は名残惜しそうに洋菓子屋を振り返えりつつ帰路に付いた。 まぁいいやと気分を切り換えた山本は帰るなり台所に立った。 数日前から置いてある鮨桶にご飯を移し酢飯を作っている。パタパタと団扇で扇 ぎながら手慣れた手付きで切るように混ぜている。 「………」 何となしにヒバリがそれを見つめていると、視線に気付いた山本がニッと笑いか ける。 「今日はちらしな〜」 市販のちらし寿司の元を使うのではなく山本がきっちり作るつもりらしい。 そう言えば寿司屋の息子だっけとヒバリは頭の隅にあった情報を引きだし、何と なしに言った。 「…兜の折り方みたく、ちらしの作り方も忘れてるんじゃない」 その言葉に山本がにっこりと笑う。 「それは大丈夫。作り方、ばっちり習ってきたかんな」 「………」 それはつまり前々から今日はちらし寿司を山本は作るつもりだったということか 。 ヒバリはなんとなく面白くない。山本はそんな素振りは少しも見せなかったから だ。今日だって朝一で口にした単語は「あー今日こどもの日だっけか」だった。 だからこそ、山本は自分の誕生日など忘れていると思ったのに。 「………」 ヒバリは少し唇を尖らせると台所まで行き山本の手元を覗き込んだ。其処には今 日朝早くから馴染みの魚屋に行って買って来たマグロの柵がある。 「ん?どした〜?」 「別に。気にしないで」 「そか?」 「うん」 山本は笑みを浮かべ鼻歌混じりで動かしていく包丁に迷いはない。綺麗に切り落 としたマグロを皿に乗せていく。 ふと手元をじっと見つめられていることに気付いた山本が手を止めたのでヒバリ は山本に視線を移した。 目が合って山本が笑う。 「どうよ?俺の包丁さばき」 「…金はとれないね」 「ははっ、手厳しいのな」 昼食の時間になり、食卓には山本お手製のちらし寿司が乗せられた。 「なんでちらしなの?」 「ん、うち、祝いごとにはちらしなのな」 それにちらしなら俺にも作れるしという山本にヒバリはふぅんと適当な返事をし て、綺麗に作られたちらし寿司を見つめた。 「んじゃ改めまして」 山本の言葉にヒバリはちらし寿司から山本に目をやった。 真っ直ぐにヒバリを見ていた山本と目が合う。 「誕生日おめでとうな」 「…ありがとう」 型式通りの言葉に型式通りの言葉を返す。もう食べていいかなとちらし寿司に目 をやったヒバリに山本はさらに言葉を続けた。 「なぁヒバリ」 呼ばれてヒバリはまた山本を見る。また目が合って、視線を離せなくなる。 山本は笑っていた。穏やかに、どこまでも穏やかに笑っていた。笑みを形作る唇 が言葉を紡いだ。 生まれてきてくれて、ありがとう。 |