風の強い日だった。
山本は窓の外を眺めて心の中で溜め息をついた。
(風強ぇなー…。やりずれーな)
こうも風が強くてはボールが流されてやりずらい。
試合がこんな強風時に行われると想定すればいい練習になるが、やはり風はないほうがいい。
(早くやまねーかな…。ん?)
昇降口で靴を履いた時、視界の片隅で黒い学ランが風になびいてるのが見えた。
(ヒバリ…)
こんな風の中でも落ちない学ランに感嘆しながら、山本は無意識にフラフラとヒバリの方に足を向けていた。
「ヒバリー」
「…何」
後ろから声をかければうっとおしそうに睨まれた。
ツナには「やぁ」とか答えるのに。と、自分との態度の違いに内心文句を言いながら顔には出さない。
不機嫌そうなのに問答無用で殴られず、立ち止まって向き合ってくれるだけ大きな進歩だ。
「今日風強ぇなー」
「だから?」
「いやー?そんだけ」
「そう」
素っ気ない態度でまた歩き出そうとするヒバリに山本はついまた声をかけてしまう。
「ヒバリ」
「…うっとおしいんだけど」
「あ」
ヒバリが腕を動かした瞬間、一際強い風が吹いて学ランが大きくたなびく。
落ちる。
そう思ったその時、ガツンと一撃を頭に食らい、落ちたのは山本の意識だった。



「うー…」
「あ、山本気がついた?」
「…ツナ?」
意識が戻って、まだ痛む頭を持て余して思わず唸り声をあげたら予想外の人の声が降ってきた。
その声に反応して視線を向けると、ツナがホッと胸を撫で下ろしていた。
「脳しんとう起こしてるって、シャマルが」
「そっか」
記憶が途切れた瞬間に意識を向けた。すぐにヒバリに殴られたからだと思い出した。
「ツナが運んでくれたのか?」
見渡せば空間を仕切るカーテンが見えたので、保健室だとわかった。
「んーん。ヒバリさんが運んでくれたんだよ」
「…ヒバリが?」


『あ、山本…と、ヒバリさん?』
ツナと獄寺はごみ捨てに行く途中で、離れたところで終始を見ていた。
山本がヒバリに声を掛け、ヒバリに殴り倒される瞬間も。
山本に攻撃が上がったその時、ヒバリの学ランが風にさらわれた。ふわりと風に乗ったあと、くしゃりと地に落ちた。
ヒバリは風に飛ばされた学ランに構わず、しばらく立ち尽くして山本を見下ろしていた。
ツナ達の位置では後ろ姿しか見えなかったので、どんな表情をしていたのかはわからない。
緩やかになった風に、ヒバリは地に付いている学ランを拾いあげると、それを叩いて砂埃を払い落とした。それをまた羽織ることはせず、脇に抱えてまた山本の側に行き山本を見下ろした。
『………』
しばらくしてしゃがみこんだかと思うと、山本の頭をつついてみたり、ツンツンした髪をちょいちょい引っ張ったりしていた。
ツナと獄寺はそれを見守っていたが、さすがにヒバリが意識のない山本の胸倉を掴みあげたときは止めに入ろうとした。
が、ヒバリは山本をそれ以上痛め付けたりはせず、ぴたぴたと頬を叩いて目を覚まさせようとしているようだった。
それでも山本は目を開けない。
ヒバリは山本の胸倉を掴んだまま、しばらくそうしていたが、おもむろに立ち上がったかと思うと、そのまま山本を引きずって歩き出した。
ツナと獄寺は後を追った。
ヒバリは山本を保健室まで連れて来た。
シャマルとの会話が聞こえてきた。
『保健医でしょ。さっさと仕事しなよ』
『男は見ねーが信条なんだよ。ベッドは貸してやっからその辺放置しとけ』
二人は入るタイミングを失い、ドアのところで立ち尽くしていた。
『だいたいオメーがやったんじゃねーのか?てめぇがやったやつを俺に後始末させんのっておかしくねぇ?』
『うるさいよ。避けなかったコイツが悪い』
あとはよろしく、と保健室から出て来たヒバリと二人は鉢合わせした。
『あ…』
『なんだ。君達が群れてる野球バカ、其処にいるからどうにかしといて』
『は、はい…』
ヒバリは威嚇している獄寺に目もくれず去っていった。

話を聞いた山本は目をパチパチとさせて今聞いたことを整理しようとした。
「お。起きたか野球バカ」
カーテンが小気味好く開いて獄寺が顔を出した。
「獄寺君、野球部の人達に伝えてきてくれた?」
「はい。おい山本、今日はもう部活でねーで帰れってよ」
「え、マジかよ。俺全然部活出来るのに」
「うっせーな。じゃあ自分でそう言いに行けばいいだろ」
獄寺は山本にそう言うと、ツナに向き合って笑いかける。
「十代目、こいつもう平気そうですし。さっさとごみ捨て行っちまいましょう」
「あ。そうだった。じゃあ山本。今日はもう帰りなよ」
「おー。わざわざありがとなー」
二人が保健室から出てくのを見守って、山本はシャマルに退室するために声を掛けた。


保健室を後にして、山本は昇降口に向かうのではなく階段を上っていた。
向かうはヒバリのいる応接室だ。
「ヒバリー」
ノックもせず開ける。
ソファに座っていたヒバリと目が合った。
「よっ」
「………」
ヒバリは睨むように山本を見つめながら黙り込んでいる。
山本は笑いながらヒバリの前のソファに座った。
「ヒバリが保健室運んでくれたんだってな。ありがとなー」
「………」
保健室に連れていかれる原因を作った人間にありがとうというのはおかしい気もするが、そう突っ込む人間はこの場にはいない。
「今日はもう部活出ないで帰れって言われちまってよー。ヒバリに礼だけ言って帰ろっかなーと思って」
「…君馬鹿?なんで避けなかったの」
やっとヒバリが口を開いた。
けれど不愉快そうなキツい視線は緩まない。
「あー?あー、学ランがよー。風で飛んじまいそうだったから見てたらガツンと…」
「馬鹿だね」
「んだよ。俺がまともに食らっちまって、ちょっと驚いた?やばいって思った?俺のこと、心配した?…っていって!」
山本が喋っているのにヒバリが思いきり二人の間のローテーブルを蹴飛ばした。山本のすねを直撃する。
「っつー…ヒバリ、いたい…」
「知らないよそんなの」
ヒバリは足を抱えてソファに蹲る山本に見向きもせず、窓際の椅子に腰掛けた。
山本はしばらくソファに寝そべって泣きまねをしていた。
「ぐすん。ヒバリ酷い…」
「気持ち悪いんだけど」
「ヒッデー。キモいじゃなくて気持ち悪いって…」
「うるさい」
ぴしゃりと切り捨てられて山本はまたソファに横になった。
ほんの少し、沈黙が落ちる。
野球部の練習の声が遠く聞こえて来た。
「練習始まってるよ」
「だな」
「行けば」
「今日は帰れって」
「元気そうなのに。ズル休み?」
「いやいやいや。一応脳しんとう起こしましたから」
本当は気持ち悪い等の体調不良はないから部活に参加出来ないことはない。
本当は応接室に顔を出したら部活にいこうと思っていた。けれどヒバリの顔を見たらもう此所から離れたくなくなってしまった。
また沈黙が落ちる。
「今度」
「あ?」
「今度同じことがあったら、今度は放置するから」
もう僕の前で気を抜かないことだね。
ツイと顔を背けてそう言ったヒバリを山本は目を瞬かせて見つめて、声を殺して笑った。


それって、また側にきていいってこと?


山本が肩を震わせているのに気付いたヒバリが不満げに眉を寄せる。
「何笑ってるの」
「いや、別に?」
「………」
次の瞬間トンファーを投げ付けられた。
なんとかそれを交わせばトンファーは弧を描いて先程までヒバリが座っていたソファに絶妙なコントロールでぶつかった。
「おー…すげー」
「取って」
「は?」
「此所に戻して」
こいつ横着者だ。思いながら山本は文句も言わずトンファーを拾いあげるとヒバリに手渡した。
ありがとう、小さなヒバリの礼が聞こえると同時に手渡したばかりのトンファーが宙を切る。
山本は咄嗟に首だけを動かしてトンファーを避けたのだ。
山本の反応にヒバリは笑みを浮かべた。
「そう。それでいいんだよ」
悪戯に笑い、このまま乱闘かという気配を纏うヒバリに山本は小さく降参と手を上げた。


神様もう少しだけ、俺に安息を下さい。