小さな音にすら目を覚ましていた僕が誰かと暮らすなんて不可能だと思っていたけど、流されるまま始まった山本武との二人暮らしは思ったより心地よくて僕を戸惑わせた。
狭いベッドに並んで温もりを分け合って眠る。僕よりも大きな背中に安心を覚えて、より深い眠りにつけるようになった。それこそ些細な物音くらいでは目を覚まさないくらい。ぐっすりと朝まで眠り、目覚ましの音、差し込む太陽の日差しで起きる。
1Kのこの部屋にプライバシーなんてなくて、何時も何時でも他人が同じ部屋の中にいるなんて想像もつかなかったのに全然苦にならなくて平穏な毎日を送る。
そんな日々に慣れてしまいそうで僕は急に恐ろしくなった。


なんだか僕が僕で無くなっていくような気がしたんだ。


台風が近付いて外は暴風雨。樹々がざわめき大粒の雨が絶え間なく窓を叩き、アパート自体が悲鳴をあげていた。
「風すっげーな。これアパートぶっ壊れねーかな」
山本武が分厚い鼠色の雲が一面に広がる窓の外を見ながら言った。独り言のようにも思えたけど、僕はそれに応えた。
「さぁ、どうだろうね。だいぶボロいから壊れるかもね」
「うーん。まぁ壊れたらとりあえず実家戻るか。ヒバリも来るだろ?」
「なんで僕が君ん家に行かなきゃならないの」
「え。来ねぇの?」
信じられないというように目を瞬かせる彼の方が僕は信じられない。
どうしたら僕が彼の家に転がり込むなんて発想が出来るんだろう。
彼の生活の中に当たり前のように僕が組み込まれている。そんな気がした。



雨風は強くなるばかり。
何時停電してもいいように懐中電灯を用意しておいたけど、結局その日は停電は起こらず、家も保って僕らは布団に入った。
電気を消せば部屋は真っ暗闇の中。目を閉じても真っ暗。寝ているのか起きているのか、眠たいのか眠くないのかもよく分からないまま僕は何度も寝返りをうっていた。
今日は何故だかやけに神経が過敏になっていて、雨音が気になってなかなか寝付けない。夢と現実の狭間をたゆたいながら僕は眠りに落ちるのを待った。
どのくらいそうしていただろう。
不意に、僕の意思に反して急にぱっちりと目が覚めて、僕は目を開けた。
闇に慣れた目は僅かな光も捉えて窓の外が青白く明るかった。視線を動かせば壁も時計もカーテンもしっかり視認出来る。
雨は止んでいた。風も収まっいて、時折道路を通る車の音が響いているだけ。けれど眠れない。
冴えきった頭は目を閉じる気さえ殺いでいた。
「………」
仰向けになって暗闇の中ぼんやりと浮かぶ電灯を眺めた。
部屋は静かだけど無音じゃなくて、夜特有の虫の音がする。あと山本武の寝息が聞こえた。
明日の天気、やるべきこと、これからのこと。考えごとをしても全てはとりとめもなく考えたはしから忘れていく。
首だけ動かして視線を天井からずらした。
真横でこちらに背を向けて寝ている山本武のうなじが見えた。
しばらくじっとそのまま視線を落ち着かせてみても、彼が僕の視線に気付くことはない。だって寝ているのだから。
視線を下げて彼の広い背中を見る。
『眠れねぇの?』
不意に彼の言葉を思い出した。


あの日も僕は眠れなくて、それでもそのときは目を閉じて寝付こうと何度も寝返りをうっていた。
そんな僕に目を覚ました山本武は眠気なまこで僕を見た。
『どしたぁ…?』
目なんか半分以上閉じかけてて、彼にキャーキャーけたたましい悲鳴をあげている女の子たちが見たらきっと幻滅するだろうなって思うような顔だった。
『なんでもないよ。寝てれば』
『…眠れねぇの?』
暗いのダメ?、と彼は的はずれなことを言ってくる。
そんなわけないだろ。今までも暗い部屋で寝てたじゃないか。
『………』
『んー…、よし』
黙り込んだ僕が睨むようにして見てるのも半目の彼は気にしない。
僕の沈黙をどう受け止めたのか、彼はなにやら考えてる素振りを見せたと思ったら、僕の方に手を伸ばして僕を抱き寄せた。
『ちょっ…』
『よーしよし。俺が側にいっから。なーんも怖くなんかねーよ』
ムズがる子供に言い聞かせるように、優しい手つきで僕の背を叩く。
引きはがして殴ってやりたかったけど、狭いベッドに零距離で満足に動けない。
彼は僕を腕に抱いたまままた眠ってしまった。一定の感覚で呼吸を繰り返し、うんでもなければすんでもない。
服越しに彼の温もりを感じた。瞼が重たくなるまでそう時間はかからなかった。



今も、彼の温もりはすぐ其処にある。手を伸ばせば触れられる距離だ。
その広い背中に耳を寄せれば、彼の鼓動が聞こえるのだろう。
けれど僕はその背に手を伸ばせない。
ねぇ起きて。そんなことも言えない。
「………」
急に心細くなって。
伸ばした指先は宙を彷徨い、彼に触れるその前にまた戻ってしまった。
数十センチのこの距離を、果てしなく感じて僕は一人途方に暮れる。
起きてよ。君から僕に手を伸ばして。この距離を零にして。僕を眠らせて。
彼は目覚めない。この距離は縮まらない。
温もりは遠いまま、夜はまだ明けそうにない。



『夜中何度も目が覚める 君に勇気を出せないあたしがいる 暗いから怖いんじゃないよ』