なんだか、無性に、



誰もいない公園の前で僕は何となく足を止めた。本当に何となくで、立ち止まった理由は自分でもわからない。
途絶えない雨音。一面にムラなく広がる重たい雲から落ちる雨粒が傘を叩く。車が横の通りを通る度に水が跳ねる音がした。
周囲に人影は疎らだ。少なくとも学生はいない。
僕は公園の中へ足を向けた。
子供の声の代わりに響く雨音。小さな足が踏み付けられている古びた遊具は雨に打たれて音をたてる。
公園の中心に、僕は立った。
車の音が遠く聞こえる。僕は空を見上げた。黒い絵の具に白を一滴だけ垂らしたような灰色の空。わずかな光を反射しながら落ちる滴は点線を描く。
そっと傘から手を伸ばして、その線を遮断した。手のひらで弾ける雨粒。僕の手を濡らしていく。


理由などない焦燥。ただ一人で居たくない。じっとしていたくない。でもなにもしたくない。空回る焦り。募る苛立ち。多分僕は今。


寂しい。


誰かそばに居て。きっとそう願ってる。でもそんな感情いらない。気付かないフリをする。
たとえ今僕の名を呼ぶ声が脳裏に過ぎったとしても。

『ヒバリ』

この声の主の姿を、手の甲を空に向けて水が滴る自分の手を見つめながらとりとめもなく思い描く。僕の中の彼は脳天気な笑顔を浮かべていた。僕には作れない表情だ。
彼は僕の前に何度現れたんだろう。その度に鬱陶しい、目障りだと殴り付ける僕の前に。
僕がつけた傷が治る前に性懲りもなく現れた彼。
ねぇそばに居てよ。
そう言えば、彼の名を呼べば、きっと彼ならそばに居てくれる気がした。来てくれる気がした。根拠はない。ただそんな気がした。
でも言える訳もない。だって僕は今まで彼を追い払ってきたのに。今だけそばに居てなんて調子のいいことは言えない。
言えない。
雨音だけの世界に新たな音が舞い込んだ。


「よ」


たった一言、一文字の言葉はなによりもはっきり聞こえて。僕は音のした方を向いた。
そして目を見張った。


山本武。


安そうな透明のビニール傘をさして、彼は僕の視線の先に立っていた。
どうして彼がここに居る。
「なにその顔。何してんの?」
彼は少し首をかしげてから僕が描いたまんまの笑顔で近付いて来る。
僕はただそれを見つめていた。体が動かなかった。なんで、彼がここに居るの。現状に頭がついていかない。
彼が目の前に来て僕の方に腕を伸ばしても僕の体は動かなかった。彼は濡れた僕の手を取った。
「うっわ。すっげー手ぇ冷てぇな」
冷えきった指先に伝わる熱が僕を溶かして、僕の頭の回線はいきなり繋がったようで僕は彼の手を振り払った。
「…なんでいるの」
「ん?部活筋トレだけで終わったから」
「………」
彼は底抜けに脳天気な笑顔を僕に向けてくる。
部活が終わったから?そんなの理由になってない。
「あとなんか、」
彼が続けた言葉に、僕の心臓派とまるかと思った。
「ヒバリに呼ばれた気がして」
でも彼が「そんで気の向くまま歩いてたら実際ヒバリがいたから俺もビックリ。なんつの?運命?そういうの感じちゃうよな〜」としまりのない顔をして続けたので僕は心が冷めてくのを感じた。
「呼んでないよ」
「あれ?じゃあテレパシー?」
「勝手に受信しないで」
一瞬でもこんな奴のことを考えた僕が馬鹿だった。
そう思って彼に背を向けて僕は公園から出ていこうとした。だから彼が僕の言葉に少し驚いたような顔をして、それからおかしそうに笑ったことに気付かなかった。
「ヒバリ」
背後からかけられた声に僕は立ち止まった。
「ヒバリー」
もう一度呼ばれた。無視しても良かったけど、僕は振り返った。
彼は笑っていた。けど、その笑顔はいつもの脳天気で馬鹿みたいな笑みじゃなくて、どこか穏やかで不思議なものだった。
「良かったら、一緒に帰んね?」
なんの捻りもない、ストレートな言葉。
余裕ぶった笑みが物凄く気に食わなかったけど、



「………今日だけだよ」



そう答えたら、彼は嬉しそうに笑った。