「あ」
教室から窓の外を眺めてたら、中庭を黒い学ランをなびかせながら歩いていくヒバリを見つけた。
距離にして80メートルくらい。ここから声をかけたらヒバリは気づくかな。
そう思いながらじっと後姿を見つめてた。結局声をかけられぬままヒバリの姿は見えなくなった。
放課後、俺は今日日直で、日誌を書き終え鞄を持って教室を出て、一人廊下を歩いてた。
目指すは階上の応接室。そのついでに隣りの職員室に日誌を出しに行く。
廊下を歩きながら、俺は今日ツナに言われた言葉を思い出していた。
『山本って声でかいよね』
『そうか?自分ではあんま思わねーけどな』
『でかいよー。それによく通るから、山本の声って離れててもすぐ分かるんだよね』
例えば部活のときとかも。とツナは続けた。
それは他愛ない会話で、すぐに話題は変わってしまったけれど、なんとなく俺の中でその後もずっとぐるぐると回ってた。
ガキの頃から野球をやってて、野球は俺の人生でそれは声を出すのが基本でそう生きてきた。
相手が結構遠く離れたところにいたって、でかい声で話しかけりゃ相手に聞こえて反応してくれた。
だけど。
たとえ俺の声が世界中の人に届いたしても、
俺の言葉を伝えたいたった一人に届かなきゃ、
そんなの意味がないんだよ。
「失礼しまーす!」
扉を開けて職員室に入る時のお決まりの言葉を言う。この時間、普段は既に部活の時間。つい部活のときの挨拶みたいな声になった。そしたら俺の声に職員室にいた教師が全員俺を見た。
俺の一番近くにいた教師が俺に苦笑しながら言った。
「山本…。しっかり『失礼します』を言うのはいいことだが、そんなでかい声で言わなくてもいいんだぞ」
「でかかったすか?普段ならこの時間部活っすからつい…」
俺も笑って答えれば「次からはもうちょっと静かにな」とだけ言って離れていった。
職員室に担任はいなくて俺は机のど真ん中に日誌を置いて、今度は意識して「失礼しましたー」と言った。
職員室を出たら応接室まであと数メートル。職員室から扉2つ向こう。部活のためのグラウンドとは逆方向。
俺はためらわず、もちろん応接室の方に爪先を向けた。
今日もヒバリはあそこにいるかな。
いつもいつでも応接室にいると思ってたのに、こないだ行ったらいなくてガッカリした。
後日会えた時にそう言えば、
『いつもいつでも此処にいる訳じゃないよ』
暇な君とは違うんだと言われた。委員長様は精力的に活動してますこと。
応接室の扉の前で、『応接室』の表記を見つめる。確認するまでもないけど、よし目的地到着。
今日もヒバリにいて欲しいな。
思いながら俺はノックもなしに扉を開けた。
いた。俺の目はすぐにヒバリを捉えた。
扉から真っ直ぐ一直線上に並ぶ机とソファ。そのソファのど真ん中にヒバリは座っていた。
鬱陶しそうに俺に視線を向ける。それはいつものこと。もう怯んだりしない。
「よっ」
「………何?」
「別に。ただ会いたかっただけー」
俺の言葉にヒバリは溜め息をついた。幸せ逃げるぞ。
俺はヒバリに会えるだけで嬉しくて、頬の筋肉が自然に緩む。舞い込んでくる幸せ。
ニヤニヤ気色悪いからその顔やめろって前にヒバリに言われたけど、無理。マジ無理。絶対無理。だって嬉しいんだもんよ。嬉しいときは笑っちまうよ。
けど、最近少し俺の心に変化が起こった。
今だってヒバリに会えるのは嬉しい。だから自然と笑顔になる。
でもそれだけじゃ足りない。
聞いて俺の言葉。聞かせてあんたの声。
「もう君の好きな“部活動”の時間が始まってるよ」
「ん。俺今日日直だから遅れるっつってあるから」
「でも早く行けば。君が学校に来る理由でしょ」
とっととどっか行けオーラを隠さないヒバリはついと俺から目を逸らして持っているプリントに目を移したけど、俺はヒバリの言葉が意外で少し目を瞬かせた。
だって俺が学校に来るのは部活のためだけじゃなくて―――。
戸を開けたまま部屋と廊下の境界線に突っ立ってなんとなくヒバリを見ていたら、またヒバリがこっちを見た。
「いつまで其処に突っ立ってるの。戸、閉めてくれる」
言われて俺は室内に一歩踏み込んで戸を閉めた。
それにヒバリはまた少し不満そうな顔をする。
「…なんで中に入るの」
「だって入らなきゃ話し出来なくなるじゃん」
「話すことなんてないよ。僕が立ち上がる前にどっか行って」
こいつも大概めんどくさがりだよな。俺を追い出すために立つのはめんどくさいってか。
言われても俺は戸から3センチ足らずのところ、二人の距離はほんの3メートルに立ってやっぱりじっとヒバリを見つめる。
視線を感じて居心地悪いのかヒバリは難しい顔してる。そんな顔も好きだけど、眉間に寄ったシワは伸ばしてやりたい。触った途端殺されそうだ。
そんなこと考えてたらヒバリがプリントを机に投げ出して背もたれに体を預けて、また溜め息をついてから俺を見た。
「なんで君はここに来るのかな」
「答えたら此処にいていい?」
「さぁ」
「あんたのことが好きだから」
「馬鹿じゃないの」
俺の告白、即答馬鹿じゃないので強制終了。え、マジっすか。検討の余地なし?
「ひっでー。ちゃんと答えたのに」
「ふざけた返答だったからダメ。早く出てけ」
俺の言葉に興ざめしたのかヒバリは投げ出したプリントを拾いあげてでかい机の方に移動した。それを俺は目で追っかける。
開く距離。二人の間5メートル。
ヒバリはでかい机のプリントを全部まとめて綺麗に揃えて俺の方を振り返った。
「まだいるの?そろそろ追い出すよ」
「………」
俺に届くヒバリの声。この距離でも、確かに届くヒバリの言葉。だって大した距離じゃない。外野から内野までの距離なんかよりよっぽど近い。
でも遠い。
俺の声はヒバリには届かない。扉からソファまですら届かないのに、距離が開いたらきっともっと届かない。けど。けどな。
「なぁヒバリ」
「………?」
俺はあんたに伝えたいんだよ。
「 」
あとどれだけ近付けば、
俺の声はあんたに届くのかな。
『世界の端まで届く声より、君にだけ伝えたいだけ。』