雲雀恭弥、ただいま年下の男山本武と同棲中。



築25年の年季の入ったアパートが二人の家。穏やかな休日の昼下がりとは裏腹に、ヒバリの機嫌は傾いていた。
ヒバリは一人暇を持て余していた。ごろごろとベッドに横たわっていても眠くなどちっともないし、そもそも時折吹く風が揺らす葉の音で眠れやしない。
暇だ。とにかく暇だ。ヒバリの頭は暇という単語で埋め尽くされていた。
普段休日は何をしていただろうと思い返してみるも、山本がヒバリを何処かへ無理やり連れ回すだの、山本がヒバリに相手をしてもらおうとちょっかいを出してくるだので、自分で何かをしていた記憶がない。
今日こんなに暇なのは、山本が何も言ってこないからだということにヒバリは気がついた。
「………」
山本を見てみる。山本はヒバリがベッドを占領しているため、一人ヒバリに背を向ける形で床に座って雑誌を見ていた。もちろんヒバリになどかけらも注意を向けていない。
時折乾いた紙の音が静かな部屋に響いた。
「ねぇ」
「んー?」
ヒバリが山本に呼び掛けてみるも、山本は振り向きもしない。
「暇なんだけど」
「そー?」
「そう」
「そっか」
「うん」
山本の返事の代わりにページを捲る音がした。山本は振り向かない。ヒバリは眉を寄せ、唇を少し尖らせた。
「ちょっと」
先程よりいささか強めに少し猫背気味の背中に言葉を投げた。
「んー?」
返ってきたのはやはり間延びした声。
「僕の話聞いてる?」
「聞いてんよー」
「じゃあ僕なんて言った?」
「暇なんだろー。ちゃんと聞いてる聞いてる」
山本は会話しながら一度も振り返らない。ずっと雑誌を見ながらヒバリとやりとりをしている。ヒバリはますます目付きが悪くなっていく。
人と話す時はちゃんと人の方を見るのが礼儀ってものじゃないか。ムカつく。
山本の自分より大きい背中を睨付けながら思う。まさか片手間に相手にされてるのが不愉快だなどと夢にも思わずヒバリは傾いていく機嫌を山本の無礼さのせいにした。
ヒバリはもうそれ以上山本に話しかけなかった。山本もヒバリが話しかけてこないので何も言わず、また部屋に静寂が満ちた。
ヒバリは体を起こしてベッドに座った。ヒバリがなにやら動き出したのに山本は気付いているであろうが雑誌に意識を向けたままでやはりヒバリを気にしない。
ヒバリは枕を掴んで山本に投げ付けた。上から叩き付けるように。ヒバリの手を離れた枕は真っ直ぐ勢いよく山本の無防備な後頭部にぶつかった。
「あだっ…!」
首にもろに衝撃が来て、山本は首を押さえた。衝撃に前に傾いた体を山本が起こす前に、ヒバリはベッドから山本の背中を足蹴にした。がしがしと何度もその背を蹴りつける。蹴りたい背中がそこにあった。
「いだっ、痛いって。ヒバリ痛いっての。ヒバリさーん」
もちろんヒバリが本気で蹴っているとは山本も思わないが、何故ならヒバリに本気で蹴られた時点で山本の意識はない、蹴られては痛い。山本はようやく雑誌から視線を離しヒバリの方に上半身を向けた。ヒバリはそのまま今度は横っ腹を蹴りつける。
「だーから痛いっての。ヒーバリー。いーたーいー」
「………」
ヒバリは不機嫌そうに唇を尖らせたまま口をつぐんで黙り込んでいる。山本を蹴るのを止めずに。
「あーもう…。痛いってば」
山本は蹴ってくる足を掴んで、ヒバリの蹴りの乱打を止めた。ヒバリはそれがまた不愉快で足をばたつかせてその手から逃れようとしてみたり、もう片足で自分の足を掴む山本の手を蹴ってみたりした。
もちろん本気でヒバリが山本の手から逃れようとするなら山本本体に情け容赦のない一撃を食らわせてくるだろうからほんの戯れにすぎない。痛いものは痛いが。
「ったくー…」
山本は仕方なさそうに笑うと、ヒバリに近付きながら掴んでいる足を引っ張りあげてヒバリをベッドに押し倒した。足首を掴んでいた手は太股に移動している。山本が空いている手をヒバリの頭の横に着いたのでベッドが凹んで黒髪がさらりと流れた。
「相手にしてもらえなくて寂しくなっちゃった?」
「馬鹿じゃないの。暇だっただけだよ」
「夜はおねだり上手のくせに昼間誘うのは下手だなぁヒバリは」
「噛み殺すよ」
「いひゃいって」
余計なことしか言わない口も塞ぐ代わりに頬をつねった。笑いながら当たり前のように太股を撫でている手も振り払う。
「で、お暇を持て余していらっしゃるヒバリさん。俺に何をお望みで?」
「…別に、何も」
実際、ヒバリは山本に何かを望んで山本に話しかけたわけではなかったのでそんなことを言われても正直答えようがなかった。
「なんもねーのに俺の読書タイム邪魔してきたわけ?」
「読書なんて、たかが雑誌読んでるだけのくせに高尚ぶらないでくれるかな」
「ヒバリいっつも難しい本読んでるもんな。あんなの俺5行で眠くなんよ」
「ただの野球バカだもんね君は」
「ひでぇ」
山本は苦笑するとそのまま体を屈めてヒバリの唇にキスを落とした。
間近で見つめあってまたキスをする。
「寂しがり屋なヒバリさん、今日は一緒に読書でもしてましょうか」
「それ僕の本だけど」
ヒバリを飛び越えて、空いているわずかなスペースに寝そべった山本はヒバリの本を手にしていた。読みかけのその本はしおりが挟んである。ヒバリの言葉も気にせず山本は表紙と目次をすっ飛ばして本文を読み始めていた。
「いいじゃんちょっと貸してよ。俺の雑誌読んでいいから」
山本は文字の羅列を目で追いながら、ひらひらと適当に山本が先程まで読んでいた雑誌を指差す。
そうやって何かをしながら相手されるのにまたヒバリは顔をしかめて、それでもベッドから上体だけ器用に離して手を伸ばして雑誌を手に取った。その様子をいつの間にか文庫本から目を離していた山本が見ていて、
「横着ものー」
「うるさいよ」
「ちょっ。角はやめろよ角は」
黙らせようと手にした雑誌を振り上げれば山本が少し慌てながらそれをよける。
ヒバリはこんな雑誌になど興味はないので特別見る気も起こらないのだが、とりあえず山本に背を向けながら寝そべったまま表紙を捲った。背後で動く気配がして、後ろから抱き込まれる。
「…読書するんじゃなかったの」
「読書するよ。でも抱き枕があった方が落ち着くし」
「さっきいたトコに戻りなよ」
口ではそう言いながら回された腕を振り払う気はなかったので実力行使には出なかったため、山本はヒバリから手を離さない。
しばらく二人で黙って読んでいたが、十分もしないうちに山本の手がヒバリの頭の上に落ちてきた。それからまた数分もしないうちに聞こえてきた寝息。
ヒバリはただ文字を目で追うだけで読んでいなかった雑誌を床に置いて、それから少し手を伸ばして山本の手から文庫本を取り上げた。山本の指で開かれていたページはまだ3ページ目。いくらなんでも寝るには早すぎやしないかと内心呆れたがその文庫本をやはり下に置いて、身動ぎをして寝返りをうち、間近にある山本の寝顔をじっと見上げた。
それからなんとなく広い胸に耳を押し当ててみる。聞こえる心臓の音。
母親の心臓の音を聞くと赤子は安心するというが、自分はもう赤子ではないしただでさえ音に敏感な自分は他人の心臓の音などうるさくて眠れやしないと思っていたが、いつの間にか眠れるようになっていた。
むしろ一定の感覚で脈打つ音と窓から降り注ぐ穏やかな太陽の日差しが眠気を誘う。
段々瞼が重たくなってきて、ヒバリも目を閉じた。



結局目覚めたのはもう空が赤く染まる頃で一日寝て潰してしまったけれど、夕方には夕飯の買い出しに山本が行こうとしたのでヒバリもついていった。
山本がカゴ持って「なんだか新婚さんみたいだな」と笑ったので、ヒバリは「馬鹿じゃないの」と冷たく笑った。