また、またまたまた、また、ヒバリと喧嘩してしまいました。もう何度目かわかりません。
喧嘩自体はいつものこと。ツナ達に話しても、「また?」と言われてしまうだけでしょう。
「はぁー…」
山本はカレンダーを見て溜め息をつきました。ヒバリと喧嘩して今日で丸一週間。
そう、喧嘩自体はいつものこと。でも今回がいつもと違うのは―――。
「…ヒバリぃ…何処行っちまったんだよ…」
家を飛び出していったヒバリが、喧嘩から一週間経った今も何処に行ってしまったのか全く分からないということなのです。



今回のきっかけは山本のバイト学校バイト学校で忙しい毎日。日々目が回るような忙しさにヒバリを構ってやる時間が極端に減ってしまったことでした。
それがつまらなかったのか寂しかったのかヒバリは構ってオーラを出していましたが、山本は気付かないフリをしました。
そんな日々が続いて、ヒバリが夜の散歩より山本といることを選んだ日に、事件は起きたのです。



風呂から出てさぁ寝るべと思った山本の目に、散歩にも行かずヒバリがベッドを占領してお月様を眺めているのが映りこみました。
いつものように散歩に行ってると思ったのに。だからついぽろりと口からこぼれ落ちてしまったのです。
「………なんでいんの?」
他意がなかったのが尚更いけなかったんでしょう。あけすけな本心からの言葉にヒバリはカチンときたようです。
「なにそれ。僕がいちゃいけないの?」
「いや、んなことねーけど…。俺もう寝るから、そこ退いてくんね?」
お疲れモードの山本は何よりも寝たいのです。窓際は山本のスペース。
ヒバリに其処に座り込まれてお月様を眺められては山本は眠れないわけでして、そんな山本の態度がまたヒバリは気に食わないのです。
「なにその態度。何様のつもり?」
「あ?なに怒ってんの」
ベッドに陣取ったまま動かず自分を睨付けて来るヒバリに山本は困惑しながらもとにかく寝たい。
あーもう退いて退いてとヒバリを退けて寝ようとする山本にヒバリは唇を尖らせて横たわるその身体を揺さぶります。
「ちょっと、まだ僕の話は終わってないんだけど」
「あー…ヒバリ、俺マジもう寝たいの。話はまた明日にしてくれよ」
「明日って、明日もどうせ早く出掛けるんでしょ。それで僕が散歩行ってる間に寝ちゃうくせに」
「だってしゃーねーだろォ。今バイト人足んなくて困ってんだよ。おやすみ…」
「おやすみじゃないよ。起きなよ。寝るなんて許さないから」
服を掴んで引っ張り起こそうとするヒバリの力は強く、山本は抵抗を諦めて眠い目を擦りながらベッドにあぐらをかきました。
「はいはい、ヒバリさん。今日はやけに積極的ですね。でも俺はもうお寝むなの。マジもう限界なの。だからヒバリはおとなしく散歩行くなり寝るなりしててな」
ちゅっと額に口付けてまた寝ようとしたら顎に一撃を食らいました。
「いった…ちょ、ヒバリ」
さすがに其処までやられて山本も眠気も伴ってイラッとします。
「君が悪いんだろ。人の話も聞かないで、毎日毎日、僕が知らない間に寝て起きてどっか行って。そんなに忙しい忙しい言うならやめてしまえばいいのに」
ふだんの山本ならヒバリが構ってもらえなくて拗ねてるのだと、遠回しに甘えているのだと気付いて頬を緩めて思いきりヒバリを抱き締め殴られるところですが、山本は今はとにかく眠いのです。
がしがしと人のことを蹴ってくる足を必死に押さえつければ今度は拳が飛んできます。
「〜〜〜っ。もう、いい加減にしろよっ…!」
パンっと乾いた良い音が響きました。
「あ」
そして山本の手に残る感触。山本がヒバリのホッペをひっぱたいたのです。
と言っても適当に払った手が当たった程度でヒバリにそんなダメージはないでしょう。
ですがヒバリは驚いたように目を見開いたまま固まっています。
山本も自分でびっくりして固まっています。眠気も吹っ飛びました。
二人とも無言。部屋に何とも言えない重たい空気が流れました。
今まで山本がヒバリに手を上げたことなど一度もありませんでした。どんな喧嘩になっても、山本にヒバリは叩けませんし殴れませんでした。
だってあんな綺麗な顔殴れなくね?
と言うのが山本の言い分であり、仮にやろうとしてもヒバリの力の前に捩じ伏せられてしまうことは確実です。
それなのに今日、山本はヒバリを叩きました。
「…ヒバリ…?」
山本は恐る恐る固まったままのヒバリに声をかけます。
「あの…」
ごめん、そう言おうとした時ヒバリが山本に視線を向けました。
その視線があまりにも冷たくて、殺られる!と山本は本気で命の心配をしましたが次の瞬間ブラックアウトするにとどまりました。



ピピッピピッ。電子音が遠く聞こえます。
山本は手を伸ばして目覚ましを止め、あー…起きなきゃ、と思ったその時昨夜のことを思い出しました。
「ヒバリ…!」
勢いよく身体を起こし部屋を見回しましたが、そこにヒバリの姿を見つけることは出来ませんでした。
もう日が昇っています。ヒバリは何処に行ってしまったのか。ヒバリが当てに出来る人間なんて限られている上、山本は把握しきっています。
それでもとりあえずヒバリの所在を確認しなくてはおちおちバイトにも行けません。
迷惑な時間だとは思いながら、山本はツナに電話を掛けたのでした。



ツナ、獄寺、シャマルに聞いても誰もヒバリは来ていないと言います。
腹が減ったら帰ってくるだろという獄寺の言葉に、山本はそうだといいけど、と溜め息をつきました。
ヒバリは意地っ張りです。意地のために死ぬくらいはするかもしれない。
悪い方悪い方へと向かう思考を前向きに、前向きにと軌道修正しながらヒバリの帰宅を祈ること一週間。未だヒバリは帰ってきません。音沙汰なしです。
あああああ。俺はなんであの時ヒバリの話を聞いてやらなかったんだ。
後悔してももう遅い。山本は夜空に浮かぶ月を見上げてうなだれました。
そんな山本は気付くことはありませんでしたが、闇夜に紛れ一羽のコウモリが山本を見つめていたのでした。



ディーノはトントンと目の前の扉をノックしました。
返事を待たずに部屋に踏み込むと電灯はついておらず、月明りだけが差し込んでいました。
その中でにょっきりと伸びている陰の元に向かって溜め息混じりで声を掛けました。
「いい加減山本んところに帰ったらどうだ?恭弥」
「………」
言われてヒバリは見上げていた月から目を離してディーノを見つめます。
「嫌だよ。僕は帰らない」
そう言うとヒバリはふいっと顔を逸らしてしまいます。
そんなヒバリの元に一羽のコウモリが羽ばたいてきました。ヒバリの前で旋回します。
「…そう。ありがとう、ご苦労様」
ヒバリがついと手を伸ばしてコウモリに軽く触れると、コウモリはパタパタと何処かへ飛び去っていきました。
「なんだ?今の」
「貴方には関係ないよ。とにかく僕は帰らない。あと山本に連絡したら噛み殺すから」
「俺たちそろそろ日本を発つ予定なんだけど」
「………」
そう言うディーノをヒバリはギロリと睨みます。ディーノは仕方なさそうに小さく手を上げて「ツナ達にも会いたかったんだけどなぁ…」とぼやいて部屋をあとにしました。
「………」
また一人になった部屋でヒバリはガリと親指の爪を噛みます。イライラする。
コウモリからの報告では山本はだいぶしょんぼりしているようですが、ヒバリはまだ山本を許せません。それだけ自分に手を上げた罪は重いと思っているのです。
ですがディーノにイタリアに帰られてしまったらヒバリに居場所はありません。帰らないとゴネていてもどうしようもなくなるのです。
困った。ヒバリは窓の縁に座り月を見上げます。
(そういえば何時から散歩してないだろう…)
山本と喧嘩して家を飛び出してから月夜の散歩をしていません。気が沈んでそんな気分ではないのです。
無意識に零れた溜め息は、雲一つない空に浮かぶ月さえ曇らせてしまうようでした。
「………」
散歩に行こう。気分転換も必要なのかもしれない。それに、ディーノがイタリアに帰って今寝泊まりしているこのホテルの一室が使えなくなった時のために他に寝られそうな場所をヒバリは見つけなくてはなりません。
ヒバリはひょいと窓から飛び下りたのでした。



その頃、山本は家を出て夜道を一人歩いていました。
家の鍵は不用心ですが開けっ放しです。もしもヒバリが帰ってきた時のためにで す。盗まれて困るような物もありませんし。金目のものなど論外です。
月明りが街灯の届かぬところまで照らしています。
「はぁ…」
山本は溜め息をつきながらヒバリの散歩コースを歩みました。



ヒバリはてくてく街を彷徨っていましたが酔っ払いや客引きが沢山いて嫌な感じ です。
空を見上げても取り囲むように並び立つビルが高過ぎて月も遠く感じます。
「………」
此処は嫌。
そう思ったヒバリは人通りの少ない方少ない方へと移っていきましたが、何処へ 行っても見上げる月はいつもと違う顔をしているのです。
ちょっと大通りに出れば人は沢山流れているのに、みんなみんな知らない人ばか り。
なんだか世界に独りきりになってしまったようです。
(…気持ちの問題なのかな)
いつもの公園に行ってみよう。少し遠いけれど、夜はまだ長いのですから。



山本はまた大きく溜め息をつきました。山本が身体を揺らす度、キィ…と嫌な音 がします。
そう、山本は皆さんの予想に違わず公園にいるのです。
誰も居ない公園に辿り着いた山本は、ヒバリのお気に入りのブランコが静かに佇 んで居るのを見てがっくりとうなだれると其処に腰掛けたのでした。
「いるわきゃねーよなぁ…」
月明りの下で慎ましい程度に揺らしていたヒバリを思い出します。確かにヒバリ は日光の下の子供のようにぎゅんぎゅんとブランコを漕ぐような人ではありませ んね。
ジャリ、と砂を踏む音がして山本はそちらを反射的に見ました。
闇に紛れそうになりながら、それでも月に照らされし黒。
ヒバリが驚いた顔をして山本を見つめていました。



少し時間を溯って。
歩いて歩いて公園までやってきたヒバリは人の気配とブランコの揺れる音に気付 きました。
子供が遊ぶには遅すぎる時間です。大人が遊ぶにはちょっと頭大丈夫ですかと尋 ねたい。
なにより夜のブランコは自分のものだとヒバリは勝手に決め付けていたのです。
誰、僕のものを勝手に使ってる奴。
ムッとしながらヒバリはブランコに視線を向け、目を見開きました。
俯いていますが山本に間違いありません。
なんでこんなところに。家にいるとコウモリから教えてもらったのに。確かにコ ウモリからそのことを伝え聞いてだいぶ経ちますが、よりによって何故此処に。
驚いたまま見つめていると、不意に山本が顔を上げました。
目と目があって山本の目も真ん丸になります。
「ヒバリ…」
小さく呟かれた言葉は夜の虫の音に紛れながらも、確かにヒバリの耳に届きまし た。



驚きの余り、二人はしばし見つめあったまま硬直していました。
自然と前のめりになった山本の体勢に、重心のずれたブランコが音を立てます。
その音に我に返った二人。ヒバリはすぐさま踵を返してその場から離れようとし 、山本はそれを追います。
「待てよヒバリ!!」
「………」
真夜中の追いかけっこの始まりです。
公園を出て街中を走ります。住宅地のため山本はヒバリに声を掛けることが出来 ません。
ちっとも縮まらない二人の距離。ヒバリは案外足が速いのです。
ですがその距離が一気に縮まる事態が起こりました。
「!」
曲がり角を曲がったところで、現れた人影にヒバリは思いきりぶつかりました。
尻餅こそつかなかったものの、ふらついたヒバリの足が止まります。その隙を逃 す山本ではありません。
「ヒバリ!」
「!」
がっちりと、山本はヒバリの細い手首を掴んだのでした。
「大丈夫か?」
「………」
ヒバリは腕をつかまれたままぷいと顔を逸らします。どうやら力づくで山本から 逃げ出そうという気はないようです。
「おーいて…」
聞こえてきた声に、山本はヒバリが突っ込んでいった人の存在を思い出しました 。
「あっ、すんません。大丈夫でしたか、って…ロマーリオのオッさん!」
其処にいたのはロマーリオでした。
思い切りぶつかられた腕を押さえながら、ロマーリオはヒバリと山本の姿を認め ます。
「お、良かった。見つけたぜ。ボスが“ヒバリがいなくなった”って心配してる からよ」
捜しにきたんだと言うロマーリオの言葉に山本は驚いてヒバリを見ます。
「ヒバっ…、ディーノさんとこにいたのかよ」
「………」
ヒバリは唇を尖らせたままダンマリ、黙秘権の行使です。
ロマーリオに案内されるまま、山本はヒバリを連れてディーノのいるホテルへと 向かったのでした。



「ほんっとーに、ご迷惑をお掛けしました」
「いや…、別にいいってことよ」
山本はディーノの深々と頭を下げます。
ヒバリの頭も押さえ付けて下げさせようとしたら顔面に一撃を食らいました。ヒ バリは相変わらずツーンっとそっぽ向いたままです。
「まっさかディーノさんのとこにお邪魔してたなんて。ディーノさんが日本に来 てるとは思わなかったスから」
「来日した日にたまたま恭弥に会ってな。泊まらせろっつーからそのまま一室貸 してたんだ」
体したことしてねーからと言うディーノに、山本は申し訳ない気持ちでいっぱい です。何故なら。
「でも…、ツナ達にゃ会えてないんスよね。俺たちのせいで」
せっかく日本に来たのですから、ツナ達にも会いたかったでしょうに。言われて ディーノは少し困ったような顔をして、それでも笑って言いました。
「まぁ…それは…。ま、また今度来た時会うからいいんだ」
「………」
自分たちの喧嘩にディーノを巻き込んでしまった。山本はしょぼんとしていまし たがヒバリは反省の色もありません。
「ホラ、ヒバリもごめんなさい言えよ」
「嫌だよ。なんで僕が謝らなきゃいけないの」
「俺たちのせいでディーノさんに迷惑かけたろ」
「俺たち?勝手に僕を含めないでよ。悪いのは君でしょ」 「確かにそもそもは俺が悪かったのかもしんねーけど、ディーノさんの件に関し てはヒバリも同罪だろ。ってかヒバリがディーノさんのとこ泊まり込んでたんだ から」
「な―――」
「あーもう。ハイハイ、いいからいいから。喧嘩すんなって」
そのまま口論に発展してしまいそうな空気をディーノが割って入ってとどめまし た。



『仲良くしてくれりゃあもういいから。なっ。ほら、なーかなーおりっ』
そう無理やりもっていったディーノに見送られて、二人はしんと静まり返った帰 路についていました。
山本の手はまだしっかりヒバリの手を掴んだままです。いつの間にか手を繋いで います。
互いに口を閉ざしたまま、沈黙を破れずにいました。
「………」
「………」
それでも手は離さぬまま、ヒンヤリとした空気のなかを歩いていきます。
「………」
どうしたもんかなぁ。山本がそう思っていると、沈黙を破ったのは珍しくヒバリ の方でした。
「僕に謝罪はないの?」
「え?」
「ごめんなさい、は?」
「あ…」
山本はそもそものきっかけ、ヒバリの頬をひっぱたいたことを思い出します。
「ごめんな」
痛かった?と空いてる片手で白く透き通ったヒバリの頬を撫でたらその手をはた き落とされました。
「触らないでくれる」
「…ハイ」
ギロリと睨まれて、現在進行形で触ってんだけどなぁと山本は繋いでいる手に視 線をやりましたが、下手なことを言って手まで振り払われてはたまりません。
山本が口を噤んでおとなしくしてると、またヒバリがぽつりと言いました。
「…悪かったよ」
「え」
「って、あの人に言っておいてくれる」
「あの人…?」
一瞬誰かわからなかった山本ですが、すぐに金髪の人のいい笑みを思い出して、 あ、ディーノさんか、と納得します。
「自分の口から言やぁいいのに」
「………」
ぷいと顔を背けてしまったヒバリに、素直じゃねぇなぁと思わず笑ってしまった らヒバリにまた睨まれました。
小さく手を上げて、それでも笑みを消さずに握り締めていた手を振り歩きました 。
『悪かったよ』
それはディーノだけにではなく山本への謝罪も込められていたように思います。
下手くそな照れ隠しです。
「いい月だな」
「…そうだね」
「もうしねぇから。俺絶対、ヒバリに暴力振るわない」
「そう、でも僕は君を殴るよ」
「…そっすか」
「うん」
「…ごめんな」
「いいよ」
今回だけは。
そう付け加えられて、(あ、次やったら命ねーんだ)と山本は思いましたが、もう ヒバリに手を上げることなんてないのでまぁいいかと思い至りました。
見上げた月も綺麗だし。
「何笑ってるの」
「べっつに」
月が伸ばす二人の影は、家に着くまで離れずに結ばれていました。