闇に紛れて何かが動く気配を山本は感じ、目を覚ましました。ヒバリが帰ってきたのだろうと見当を付けて、薄く開けた目を再び閉じます。きっと夜の匂いと共に布団に忍び込んでくるのでしょう。
普段は気配を殺しているのに、こんなにも分かりやすいのは珍しいと山本は夢うつつな頭で思います。
(もしかして泥棒だったりしてな)
そんな馬鹿なと自分の発想を笑いながら、妙に現実味を帯びているそれに笑えなくなってきました。ヒバリが帰ってくるにはまだ夜が深すぎることも後押しします。
気配がベッドの真横にやってきました。何か武器になるようなもの、と寝ているのを装いながら腕をさ迷わせ目覚まし時計の位置を確認します。薄目を開ければぼんやりと人がいるのが見えました。ゆらりと影が動きます。
「!」
「…ねぇ」
覆いかぶさってきた影に腕を押さえ込まれました。山本は腹筋を使って上体を跳ね起こしていましたが、聞き慣れた声に力が抜けます。鼻先がぶつかりそうな距離にある顔は愛しい同居人のもので、山本は握りしめていた目覚ましから指を離しました。胸を撫で下ろしながら、笑みを浮かべて応じます。
「何?」
「………」
ヒバリは自分から、わざわざ山本を起こしてまで話し掛けてきたくせに口を閉ざしてしまいました。じっと山本を見つめたまま、何も語ろうとしません。どうしたのでしょう。
山本は沈黙に対して首を傾げながら、のんびりと腕をあげてヒバリの黒髪を撫でましたた。大人しく投げられているヒバリでありましたが、やがておもむろに口を開きました。
「君は僕の、何処が好きなの?」
「で、山本はなんて答えたの?」
ぎこちない笑みを浮かべながら、綱吉は山本にそう問いかけました。別に綱吉としては、山本とヒバリのあれこれはたまに綱吉にとっては刺激が強すぎる報告があるのであまり好き好んで聞きたいものではありません。しかし社交辞令、場の流れからそう問わずにはいられなかったのでした。
それを受けて山本は屈託のない笑みと言葉を返しました。
「ん? 『全部』って返したぜ」
「はぁー?! 馬っ鹿じゃねぇか」
「獄寺君…。ハハ、山本らしいよ」
綱吉と獄寺、それぞれの反応に山本は笑いながら首を傾げます。自分の答えにおかしなところなどないと、本気で思っているからです。
「だって本当のことだかんな」
「それが馬鹿みてぇだっつってんだよ」
獄寺がヒバリを肯定しないのはいつものことなので、山本は気にも止めずただ笑いましたた。あんなに可愛い生き物の魅力に気づかないなんて、人生の何割かは損をしていると山本は考えていますが、口にだしていさかいになるのは嫌なので言葉にしたことはありません。
山本は笑みを少し薄めると、代わりに眉を寄せて首を傾げました。
「でも、ヒバリはなんでいきなりそんなこと言い出したんだろうなぁ」
全部が好きだと答えた後、山本はヒバリにその問いの理由を聞きました。返事は貰えなかったのです。
そもそもヒバリは山本の答えに眉を寄せて唇を少し尖らせてみせました。なにかが気に食わなかったようです。すぐにばさりと布団を被ってしまったので、それ以上追及出来ずに朝を迎え、今に至ります。
「なにかあったんじゃないかな?」
「なにか?」
綱吉の言葉に反応して、彼に視線を向ければ綱吉は前を向いたまま頭を使いながら丁寧に言葉を紡ぎました。
「俺も見当なんてつかないけど、そう聞きたくなるような、なにか」
ヒバリは割と単純です。気になることがあればすぐに聞いてきます。仮に昼ドラか何かを見て思ったのなら、山本が夕方帰ってきたときに聞いてくるでしょう。
「なにがあったんだろうなぁ…」
無意識に呟きながら、もう一度聞いてみようと山本は思ったのでした。
「別に、なにもない」
「嘘つけぇ」
目を逸らしながら言うヒバリを、山本は追及します。
「嘘じゃない。ないものはない」
「ふーん………」
山本はそれ以上を尋ねることはしませんでしたが、山本の態度にヒバリは気を悪くしたようで、逸らしていた目を山本に向けました。
「………なに」
「別に?」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃねぇって」
にじり寄り、小突いてくるヒバリに山本は苦笑しながら真横にいるヒバリに目を向けました。
目が合って、嵌められたことに気付いたヒバリの目がきつくなります。振り上げられた手を、山本は握ることで押さえ込みました。
「別にな、なんもねーんならなんもねーで、いいんだよ」
「じゃあ離せ」
「まぁまぁ。もうちょっとこうやって、お手々繋いで話しようぜ」
「………」
向かい合って膝をたてます。足の間に座るヒバリは不満そうにしていますが暴れる気はないようです。山本はそんなヒバリに苦笑しながらも、少し身を乗り出して鼻先に口づけました。
「俺、本当にヒバリのことは全部が好きなのな。何処とかそういうレベルじゃねーんだ」
「…よくもまぁ、そんな台詞が言えるね」
日本人のくせに、と小さく言われても山本は朗らかに笑うだけです。何故なら山本の言葉は本心からのものだからです。
ヒバリはやはり満足ではないようで眉を寄せて難しい顔をしています。山本は首を傾げましたが、ヒバリと目が合ったのでそちらに気を取られました。
山本が口を開くより先に、ヒバリに唇を塞がれました。すぐに離れたそれは山本の耳元に移り、囁きます。
「君は聞かないの? 『俺の何処が好き』って」
目を瞬かせてすぐそばにあるヒバリを見れば、ヒバリは上目遣いで悪戯に笑みを浮かべていました。これを無意識でやっているのいうのなら本当に性質が悪いと思いながら、山本はそんなこと少しも表情に出さず笑いながら言いました。
「また今度聞かせてくれよ」
どうせ『血』とか言われそうな気はしますが、別のところを好きになってもらいたい。今がそうならこれから変えさせてやればいい。そんなことを思いながら山本はカレンダーに目をやりました。
今日は輸血パックではなく山本の血を飲む日です。いつもにも増して本能は揺らめき妖しく光るヒバリの目に映る哀れな子羊を見て、山本はヒバリの黒髪をそっと撫でました。
「お手柔らかにな」
「そのうち気持ち良くなるよ」
「なるかなぁ」
意味ありげな含み笑いが綺麗だと、山本はこころから思います。苦笑していると、肩にかかる吐息を感じました。安蛍光灯の光を受けて光る牙を視界の端に入れ、山本は視線をずらして天井を見上げました。
悔しいけれど、血を吸う前の嬉々としたヒバリの表情が一番妖しくも美しく、心から綺麗でこちらまで嬉しくなってくるのです。どうせならその牙で血を吸ってほしいけれど、ヒバリは頑なに先の尖った特殊なストローを用います。
そういえば吸血鬼は人を誘惑して催眠状態にしてから血を吸うのだったけと山本はぼんやり考えました。あぁ罠にはまってるな。肩にストローによく似たが入り込むのを感じながらぼんやりと考えます。
『俺の何処が好き?』
いつか自信を持って聞けるようになりたいものだと思いながら、山本は自分の肩を舐めるヒバリの頭を抱きしめるとゆっくりと目を閉じました。