多分、最初ヒバリに他意はなかったのでしょう。
おいしい血を飲みたい。
ヒバリがそう思うのはごく当たり前のことです。
その思いを叶えるために、たまたまテレビでやっていた「さらさら血液」についての番組を見て、それを山本に実践させるのは無理からぬことです。
けれど、山本はそれが心に引っ掛かってしまったのです。
その胸にわだかまった感情は、これからの日々些細なことでまた引っ掛かり絡み合い大きくなっていきます。
その結果、今回一連の騒動を引き起こすことになろうとは、今はまだ誰も知る由はないのでした。





「なんか今日の、こってりしてない?」
ヒバリは並べられた食事を見て言いました。
先日の番組で“コレステロール”云々かんぬんと言っていたので、ヒバリは以前は興味を示さなかった献立を意識するようになっていました。
「いーじゃんたまにはさぁ。こう油々したのが食べたくなるわけよ」
並べ終えて座り込んだ山本が箸を持ち食べ始めながら言います。
「血液がドロドロになるよ」
「別に一日くらい平気だって」
「………」
ヒバリは無表情です。けれどわずかに尖らせている唇が不満そうです。
確かにドロドロな血液は体によくありません。血栓が出来やすくなるし、脳卒中、心筋梗塞の原因になります。そんなことは山本もわかっています。
ですが山本はヒバリが単に山本にさらさら血液を維持させるため、つまり、自分がおいしい血を飲むために献立を気にしているのが気に食わないのです。
『ヒバリにとって、俺は何?』
胸にわだかまる感情の正体。
ヒバリは夕飯の最中一言も喋りませんでした。ずっと窓の外を見ていました。今日は雲一つなく、藍色の空には周りの星をかき消すほどの光を放つ月が浮かんでいました。
今日はいい散歩日和だとヒバリは考えていました。
夕飯が終わったら散歩に出かけよう。きっと気持ちがいいに違いない。と、お外に思いを馳せていました。
けれど山本にはそれが今日の夕飯に対する無言の抗議のように感じられたのです。
もし山本がヒバリに声を掛けていたら、会話を交わしていたら、これから起こる騒動は起こらなかったかもしれません。
けれど山本はヒバリに話しかけなかった。
山本の胸の内は絡まった糸でいっぱいになってしまいそうです。



夕飯が終わり、山本は食器を洗い始めました。
ヒバリは相変わらず窓の外を見ています。ヒバリはただぼーっと外を見ている時間が好きだったりするのです。
「ヒバリー」
山本の声にヒバリは意識を引き戻されました。
せっかくのんびりしてたのに。ヒバリは気分を害された気分です。
タイミングと言うものは、悪い時はとことん悪いものです。ヒバリはつい、平素より突き放した口調で応じてしまいました。
「…何?」
不機嫌そうに振り返ったヒバリに、山本の胸はついにいっぱいになってしまいました。
しばし二人で見つめあいます。少しも甘いムードと言うものはなく、むしろ空気は張り詰めていきました。
「俺はさ、ヒバリにとってなんなの?」
山本の口から、ずっと聞きたかった言葉が零れ落ちます。
「…?」
「ヒバリ俺のこと好き?」
「何を言っ…」
「それとも単にただの食料としてしか俺を見てねぇって?」
次から溢れ出した言葉はヒバリの言葉さえも遮ってしまいました。
一度溢れた感情は、言葉は、二度と戻せないのです。
部屋の中はしんと静まり返っていました。
二人は見つめあっています。ヒバリの唇が言葉を紡ぎました。
「食糧以外に何があるの?」
それは、山本を失意のどん底に突き落とすのに十分な言葉でした。
「………そうかよ」
山本は絞り出すようにそれだけ言うと、家から出ていってしまいました。



好きだと、言って欲しかった。単に食糧じゃないと、言って欲しかった。
ヒバリにとって自分はただの食糧で、ヒバリに触るのを許してくれてたのは、血を与えてくれるお礼、つまりはギブアンドテイク感覚だったってことか。
なんだかとても泣きたくなって、山本は夜の道を全力で走っていきました。



家に残されたヒバリは山本の真意がわからず訝しそうに眉をひそめるばかりです。
何故彼はあんなことを言い出したのだろう。
自分は吸血鬼で、彼は人間。自分が生きるうえで彼の血が必要で、彼の血は食糧、つまり彼は食糧だ。
他になんて言えば良い?
訳が分からない。
とりあえず今分かっているのは、山本は鍵を持たずに部屋を出て行ったので、ヒバリは山本が帰って来るまで散歩に行けなくなってしまったということです。
ヒバリが散歩に行くのに、鍵をかけずに行くのは不用心だし、だからといって鍵をかけていくと山本が帰ってきたとき家にはいれません。
仕方がないのでヒバリは月光浴をしながら山本の帰りを待って、それから散歩に行くことにしました。



「よぉ」
「…んだよ。こんな時間に」
山本の前、扉の向こうから現れた人は不機嫌を露にしてそう言いました。
山本は獄寺の家に来ていたのです。
「ワリーんだけどよ、ちょっと泊めてくんねぇ?」
「はぁ?冗談じゃねーよ。帰れ」
そう言って獄寺は扉を閉めようとしましたが、ギリギリのところで山本はそれを阻みました。
「マジ頼む。ツナんとこは小僧とかすでにいるし、邪魔するわけにもいかねーだろ」
「家に帰りゃいいじゃねぇか」
「そうもいかねぇんだよ」
山本が表情を曇らせたので、獄寺はなにかを察知しました。
「なんだ。あの吸血鬼と喧嘩でもしたのかよ」
「んー、まぁ、そんなこと」
別に怒鳴りあい、殴り合いの喧嘩をしたわけではないのであれを喧嘩と呼んでいいのか山本にはよくわからなかったので言葉を濁します。
「獄寺んとこダメだったらツナんとこ行くしかねーかぁ…しょうがねぇよなぁ」
「な!10代目にご迷惑をおかけするようなことすんじゃねーよ。ちっ。今晩だけだぞ」
「サンキュー」
獄寺が扉を閉めようとしていた力を緩めました。それから扉を開けたまま部屋の奥に戻っていきます。
こうして山本はなんとか寝床を確保出来たのでした。



一方ヒバリは。
「………」
もうすぐ夜が開けてしまいます。眠くなってきて大きなあくびを一つ。
結局、この日山本は帰ってきませんでした。
「………」
ヒバリは伸びをして部屋の中を見渡します。
山本がいない夜をこの部屋で過ごすのは、そういえば初めてです。
なんだかよく分からない感情が胸の中をぐるぐるするような感覚を覚えましたが、よく分からないものは分からないのです。
深く考え込まずに、ヒバリはカーテンを閉めると眠りにつきました。
ふいに薄い扉の向こう、階段を登る足音がしてヒバリは目を覚ましました。
山本かと思いましたが、その足音は部屋の前を通り過ぎていってしまいました。
ヒバリは自分は使ったことのない目覚時計を見ます。
4:59。足音はどうやら新聞配達のヒトのものだったようです。
「………」
ヒバリは寝返りをひとつうつとまた眠りにおちていったのでした。



「山本ヒバリさんと喧嘩したの?!」
ツナが驚いたように言いました。
山本は曖昧な笑みを浮かべて曖昧な返事を返しました。
「あー、まぁ、な」
「こいつ3日もうちに居座ってやがるんすよ。10代目もなんとか言ってやってください」
獄寺がツナに訴えます。一晩のはずだったのにずるずると山本は居座り続けたのです。
「なんで喧嘩なんかしちゃったの?山本」
ツナは山本は温厚で滅多なことでは怒らないイメージを抱いていたし、実際山本はものごとを深く考えず笑って流してしまうことが多いです。
ヒバリに対してはさらに山本は寛大に対応していたし、だからツナは山本があのヒバリと喧嘩したというのが信じられないのでした。
「まぁいろいろな」
「こいつはっきりもの言わねーんすよ」
山本を追い出したい獄寺はいろいろ山本に言いましたが、山本はのらりくらりと獄寺の言及をかわしてきたのです。
「じゃあ3日もヒバリさんに会ってないの?」
「まぁな」
「ヒバリさん、ほっといて大丈夫かな」
「しらね。まぁ大丈夫じゃね?」
無責任な言い方です。
事情は分かりませんが、山本はまだ家に戻る気がないようです。
ツナは小さく溜め息をつくとヒバリの元へ行くことを決意しました。
が、ツナにとってヒバリはなんとなく畏敬の念を抱いてしまいます。一人でいくのは怖いのです。だから、リボーンを連れて行くことにしました。
ヒバリはリボーンを気に入っているし、リボーンがいれば多分安全だろうと思ったのです。それがこの騒ぎをこじれさすことになろうとはツナは思ってもいませんでした。



山本の住んでいるボロアパートの部屋の前でツナはごくりと喉を鳴らしました。
やはりヒバリと対峙するとなると緊張します。
「早くしろよ。何ビビってんだ」
リボーンが隣りでツナに言います。
「わ、わかってるよ!」
呼び鈴を押しました。ピンポーンという音がしましたが、何の反応もありません。
「?いないのかな」
「いや。ヒバリはいるぞ。今動く気配がした」
リボーンの言葉通り、がちゃりと戸が開いて、ヒバリが不機嫌に現れました。
「あ、こ、こんにちは」
「…何?あいつならいないよ」
ヒバリは寝ていたので不機嫌そうにそう言うとまた戻ろうとしました。
「チャオっすヒバリ」
ヒバリがぴたっと動きを止めます。そして振り返りました。
「やぁリボーン。元気にしてたかい?」
ころっと態度が変わります。そして家から出てきました。
「相変わらずおいしそうだね。ねぇ、ちょっと血、吸っていい?」
「ダメだぞ」
ヒバリはずっとリボーンの血を狙っていたのです。
ふにふにした子供の肌に牙を立てたいのですが、それは我慢。せめて血だけでもと思うのですがリボーンはなかなか隙がないのです。
「今日は何しに来たの?あいつに用?あいつならいないよ」
「今日はおまえに用があったんだぞ」
「僕に?」
「あぁ。ツナがな」
「えぇ!いきなり俺に振るなよ!!」
いきなり名前を出されて、ツナが慌てます。
ヒバリがツナを見たのでツナの心拍数は倍速です。
「何?」
「あ、あの…えっと」
「ツナぁ?なにしてんだこんなところで」
割り込んできた声の方を、三人は一斉に向きました。
三人の視線の先にいたのは山本。
「山本ぉ!」
なんだ帰ってきたのか。自分は来る必要なかったなとツナは思ったのですが、実際は獄寺にいい加減追い出されたにすぎません。
山本が帰ってきたなら用は済んでしまいました。ツナは帰ろうと思いましたが空気が冷えて行くのを感じて固まりました。
山本とヒバリの視線がガチンコぶつかりあっているのです。
「何しに来たの?」
ヒバリは冷ややかに言い放ちます。
山本が3日帰ってこなかったせいで、ヒバリは3日間どこにも行けずストレスがたまってついキツい口調になってしまいました。
山本も山本で、今さっきまでのリボーンに対するヒバリの態度と自分に対するものとのギャップに、機嫌を損ない負けずに冷たく言い返します。
「何しにって、此所俺んちだもん」
帰ってきて何が悪いのとごもっともなご意見です。
目の前で繰り広げられている冷戦にツナは言葉もありません。
「リボーン、どうしよう…」
「ほっとけ。夫婦喧嘩は犬も食わねぇぞ」
「でも…」
ほっとくわけにもいかない空気です。
「そうだね。ここは君の家だ。僕もいい加減お留守番に飽きたし、出てくよ」
「あっそ。勝手にすれば?」
ヒバリは山本の横を通り過ぎて階段を降りていきます。
山本は止めません。自宅に入っていきます。
「ちょっ、山本!」
ツナが声を掛けました。山本はすぐにまた顔を出しました。
「ワリィ、ツナ。ちょっと待ってな。ヒバリ!」
山本の声に、ヒバリが立ち止まり、不機嫌に振り返りました。
ツナは山本がヒバリを引き止めるのかとホッとしましたが、その予想は裏切られることになります。
「餞別」
そう言って山本がヒバリに投げ渡したのは日傘です。
「それねーと昼間動けねーだろ」
「…わざわざありがとう」
ヒバリはまた歩き出しました。
山本ももうヒバリを見ていません。
「ツナせっかく来たんだし、上がってくかー?」
「そんな場合じゃないでしょー!ヒバリさん追いかけなくていいの?!」
「追いかける?なんで?」
「なんでって…」
山本があまりにも不思議そうにいうので、ツナも一瞬なんでかわからなくなりかけましたが、すぐさま状況を思い出しました。
それからツナはヒバリを見て、山本を見て。迷って迷ってヒバリを追いかけることにしました。
「リボーン行くぞ!」
慌ただしくツナは階段を駆け降りていきました。山本と、リボーンがその場に取り残されます。
「小僧、上がってくかー?」
「いや、行くぞっつわれちまったからな」
じゃあなとリボーンはゆったり階段を降りていきます。
山本はそれを見送って、3日ぶりに家に入りました。



真っ黒い日傘は異質で、ツナはすぐにヒバリを見つけられました。
「ヒバリさん!」
ツナが呼び掛ければヒバリは足をとめて振り返りました。
冷ややかな視線で貫かれて、ツナは一瞬竦みましたが勇気をふり絞ります。
「何?」
「あの、どこにいくんですか?」
「何処って…何処か」
ヒバリに行くあてなどありません。足の向くまま気の向くまま。尋ねられても困ります。
ツナはツナでこの場をどうしようかと困っていました。山本はあんな調子だし、どうしたらいいんだろう。
「…用がないなら僕は行くよ」
「あ、待って…!」
思わず引き止めて、ヒバリはまた煩わしそうに振り返りました。
ええい、ままよ。ツナは覚悟を決めました。
「住むとこ、紹介しますから」



「で、うちっすか」
「ごめんね獄寺君…」
ツナがヒバリを連れて来たのは、獄寺の家でした。
ツナの家はもうリボーンがいるし、獄寺なら一人暮らしだからと他にヒトが思い付かなかったのです。
「嫌っすよ。俺あんな奴家に置くの」
「そう言わないで。獄寺君だけが頼りなんだ…」
とツナも必死にお願いします。すべては玄関先でのやりとり。ヒバリは当事者にも関わらず一歩離れたところできょろきょろと辺りを見回しています。
『獄寺君だけが頼りなんだ』
庇護欲をくすぐられて、獄寺はもう拒否することなどできませんでした。
話がついて。ツナは帰り、獄寺は仕方なくヒバリを部屋に招きます。
ヒバリは一歩獄寺宅に足を踏み入れて、眉をひそめます。
「煙草臭いね」
「うっせー。文句あんだったら出…」
言いかけて、(頼んだよ)とのツナの言葉を思い出します。
「で?」
「…っく!なんでもねぇよ!」
ヒバリを追い出すわけにもいかない獄寺は奥歯をかみ締めながら耐え忍びます。
とりあえずヒバリに部屋をあてがいます。北側の4.5畳の洋室です。
「狭いよ」
「だからうっせーってんだ!文句言うな!広い部屋は南なんだよ!」
遮光性のカーテンなんかねぇからなと言い放つ獄寺に、ヒバリはしぶしぶ狭い部屋で我慢です。
リビングに行けば目の前に広がる一面の夜景。女を口説くのに最適です。
「綺麗だね」
「三日で飽きる。めしとか、勝手にしろよ」
ヒバリは窓辺で夜景を眺めていますが獄寺は夕飯の支度です。
自炊をするほうではありませんが、山本がいた三日間で冷蔵庫に蓄えられたものが残っています。
料理を終えて食事にありつこうという時に、いまだずっと外を眺めているヒバリに獄寺は一応声を掛けます。
「おまえ何食うんだよ」
「人間の食べ物は食べても食べなくても変わらないよ」
ヒバリは窓の外を見つめたまま返事をします。
「じゃあいらねーんだな」
「うん」
獄寺はそれ以上追及しませんでした。面倒臭いし。
ヒバリはずっと窓の外を眺めていました。



「あ」
山本は冷凍庫を開くと、まだヒバリの食料輸血パックが残っていました。
「………」
どうしよう。これ捨てていいんだろうか。ゴミの分別的にはパックはいつもプラスチックゴミにしてしまっていたけれど。
血は流してから捨てるべきなんだろうか。どこに流す?洗面所?流し?トイレ?なんにしてもちょっと嫌です。
獄寺に渡したほうがいいのかもしれません。けれど学校に持っていくうちに解凍されてダメになってしまいそうだし、獄寺宅に直に行くのもヒバリがいるので近付き難いです。
「………」
結局山本はその輸血パックを冷凍庫に入れたまま新しく買った冷凍食品を冷凍庫に詰め込んだのでした。



数日後。
ヒバリはまだ獄寺の家にいました。
「山本、早くあいつ引き取れよ。いつまですねてやがんだ。こっちはいい迷惑だっつーの」
「別にすねてなんかねーよ。でもどうせ特別顔あわすこともねーだろ?朝は寝てるし夜は好き勝手ぶらぶらどっか行くし」
今までは朝山本が起こしていたし、夜はヒバリの散歩に山本がついていっていたから接点があったようなものです。
獄寺の家は山本のボロアパートと違い部屋数もあるし、その気になればまったく顔を合わさなくても済むはずです。
「は?毎朝起きてくるし、夜はリビングでずっと外眺めてるし、あいつは出かけたことなんかねーよ」
何言ってやがんだと言わんばかりの獄寺に山本はちょっと驚きです。
前はあんなに月夜の散歩が好きだったのに。
「それによ、心なしか顔色がだんだん悪くなってきてんだよ。平気なのかよ」
なんとなくですが、獄寺から見るヒバリは日に日に元気が無くなっている気がします。
あまり気にしないようにしている獄寺が気付くのです。実はちょっと一大事だったりします。ですが。
「あー?知らねぇよ。まぁ、大丈夫じゃね?」
と山本は楽観視です。
もしかしたらお腹を空かせているのかもしれない、と山本は思いました。前に輸血パックが切れてしまった時もヒバリはうだうだして元気がなくなっていました。
けど今は獄寺と住んでいるのだし、お腹が空いたら獄寺にいうだろうと山本は考えていたのでした。
獄寺はヒバリのことなどほとんど知らないし、山本が平気だというのだったらそうなのかと思うしかありません。
ですが山本の言葉とは裏腹に、ヒバリは目に見えて元気じゃなくなっていきました。



獄寺が夜家に帰ると、ヒバリは電気もつけずソファに凭れて月明りを浴びていました。
目を閉じていて、月明りの下その顔色は透けるように白いのです。
「おい」
獄寺が声を掛ければヒバリの目がうっすらと開きます。ヒバリは目だけ獄寺に向けて返事しました。
「何…?」
ヒバリの声に、ふと獄寺はヒバリの口数がめっきり減ったということに気付きました。
「大丈夫なのかよ」
「…大丈夫じゃない…?」
眠そうな声でまるで他人ごとのような返事です。
今は夜だというのに、ヒバリはまた目を閉じて、まるで寝ているようです。
獄寺は難しい顔をしましたが、本人が大丈夫だというのだからどうしようもありません。
「おまえ、何も食わなくても生きてけんの?」
でも獄寺は気付いたのです。ヒバリはこの家に来てから食べ物を口にしていません。冷蔵庫に入っていた飲み物、ジュースやワインは勝手に開けて飲んでいましたがそれだけ。
血だって飲んでいないはずです。
「別に、動かなきゃ平気」
要はずっと寝ていれば飲まず食わずでも平気なのです。
ですがヒバリは毎日目覚めて活動しています。
ヒバリにとって血が飲めないのは絶食と一緒。
絶食期間はもう2週間にもなろうとしていました。いい加減限界です。



翌朝。今日は休日でした。
ですが毎朝ちょこっとでも顔を出していたヒバリが起きてこないので、獄寺はヒバリの部屋に向かいました。
勝手に戸を開けて中を覗きます。ベッドの布団はがヒトの形を作っていました。
「生きてるか…?」
「…生きてるよ」
物騒な質問に、くぐもった返事が返ってきました。
それから、ベッドから白い手が現れて、ひらひらと揺れます。
「ウザいから、あっち行ってくれる?」
随分な物言いに普段なら激昂する獄寺ですが、この時ばかりは冷静でした。
薄暗い部屋なので電気をつけて逆に寝ているヒバリに近付きます。
部屋の明かりが眩しいのか、ヒバリは腕で顔を隠してしまいました。
腕の隙間から見える顔色はとても悪いです。ぐったりとしていて、これはもう明らかに一大事です。
「ったく…!」
獄寺は家を駆け出ていきました。
残されたヒバリは腕をずらして開けっ放しの戸を見ます。
「…電気…」
つけたら消してけよ。
そう思いましたが起きて消すのも面倒臭く、そのまままた腕で光を遮って深く息を吐いて目を閉じました。



「おい!」
「うぉ。いきなりなんだよ獄寺」
獄寺は山本の家につくと呼び鈴も鳴らさず部屋に踏み込みました。
のんびり雑誌を読んでいた山本はびっくりです。そして獄寺が血相かえているのにまたびっくり。
「どーしたよ?」
「いいから来い!」
獄寺は山本を掴むとぐいぐい引っ張って立たせ、部屋から連れ出しました。
「どこ連れてくんだよ」
「いいからてめーは黙って来りゃいいんだよ!」
山本はいわれた通りついていきましたが、獄寺が獄寺の家に向かっていると気付いて少し表情を曇らせます。
「おい獄寺…」
「早く来いっての!」
「俺、おまえんちいかねーよ。ヒバリいんだろ?」
「そのヒバリがやべぇんだよ!」
「は?」
「俺んちで死なれても困んだよ!どうにかしろ!」
「死ぬ…?」
何を言っているのだろうと山本は思いましたが、獄寺があまりにも必死なので何も言えず連れていかれました。
獄寺宅に着いて。
ヒバリが寝ている部屋に案内されます。ヒバリの表情は見えませんが、ヒバリがベッドで横になっているのが戸口からでも見えました。
今はまだ昼だし、ヒバリは寝ている時間なのだから何もおかしくないと山本は思っていました。
山本は室内にはいるのをためらいましたが、
「どうにかしろ!」
と獄寺に思いきり背中を押されて部屋に押し込まれました。
たたらを踏みながら部屋にはいって、ヒバリの様子を伺います。
そろり、とヒバリを覗きこんで、山本の顔色が変わります。
「ヒバリ…!」
こんなヒバリを、山本は見たことありません。
ヒバリは普段から白い顔はさらに白く、指先も色がなくぐったりとしています。
山本が慌ててヒバリを揺さぶれば、ヒバリの目がうっすらと開きます。
ヒバリは山本をぼんやりと見て。
「…何しに来たの…?」
とぽつりと言いました。
「何しにじゃねーよ!なんでこんなになってんだよ!血、全然飲んでなかったのか?」
「………」
飲んでません。けれどヒバリは答えません。
「血…。早く俺の血飲めよ!」
山本は手を差し出しますが、ヒバリは目を閉じて首を振ります。
「…いい…」
「何言ってんだよ!」
「君、死にたいの…?」
ヒバリは山本を見つめていいました。
極限的に空腹状態だというのに、おいしい山本の血など飲みはじめたらもう止まらないかもしれない。山本を失血死させてしまうかもしれません。
「だからって…。…!」
山本は思い出しました。家にまだ輸血パックがあったことを。
山本はヒバリを抱きあげてから、背中に背負いました。
それから玄関先に置いてあったヒバリの日傘を器用に持ちます。
「ワリィ獄寺!世話んなった!」
「おい…!」
山本は慌ただしく出て行きました。
残された獄寺はしばし呆然としていましたが、
「ったく…」
しょうがねぇ奴等だと溜め息をついたのでした。



山本はヒバリを背負ったまま全力疾走で家に戻りました。
カーテンを閉めてヒバリをベッドに寝かせると、冷凍庫を漁って輸血パックを取り出します。買い込んだ冷凍食品が出しっぱなしになりますが、しまい直す暇すら惜しいのです。
すぐに電子レンジに放り込んで、あたため加熱をピッと押します。
温める時間すらもどかしく、山本は電子レンジを人差し指で忙しなく叩きます。
ヒバリは久しぶりの山本の家に、ぼんやりと背負われている時にかいだ山本の匂いに満ちたこの部屋を懐かしく思っていました。
こんな部屋だったっけ。…なんて狭くてボロっちぃ。
ピーッと加熱が終わって、山本はすぐに取り出して封を切りました。
ヒバリを抱き起こすと、薄く開いた唇に注ぎます。ヒバリの喉が上下して、ゆっくり、噎せないように山本は注意しながら注ぎました。
輸血パックが全部空になって、ヒバリが息をつきました。
山本はヒバリの顔を覗きこみました。
蒼白だった顔に、少し色が戻ってきたように感じます。
ほっとした次の瞬間、山本は床に顔から突っ込んでいました。
「?!?」
ヒバリが山本の後頭部を思いきり殴り飛ばしたのです。
「った〜…。なにすんだよヒバリぃ」
「うるさいよ。僕死ぬところだったんだけどわかってる?」
体勢を整えてヒバリを見れば明らかに怒ってるヒバリと目が合いました。
「あー、鼻打った。あ、鼻血でた。いってー…。…なんで獄寺に血ぃ頼まなかったんだよ」
「君自分の言った言葉も覚えてないの?」
「俺の言った言葉?」
何を言ったっけ?
「君が、“血なら俺がやるから”って言ったんじゃないか」
だから他の人の血は吸っちゃダメだぞと山本は言ったのです。
「あー…」
「何ひとり勝手に怒ってるのか知らないけど、僕にばっかり約束守らせてどういうつもり?」
もう君なんて知らない、と布団を被って寝ようとするヒバリに山本はしばし言葉もありません。
不意に、ツナの言葉を思い出しました。



『ヒバリさんは、山本をただ食料だけとしか見てないわけじゃないと思うよ』
なだめるように言っていました。
『山本とヒバリさんの関係って、すごく難しいよね。だってヒバリさんが山本のためを思って何かしても、自分の食料のためと山本が思っちゃったらしょうがないじゃんか』
山本は確かに、とは思ったのです。
『もし山本が単に食料にしかすぎないんだったら、ヒバリさんきっと山本の言葉に耳なんか傾けないよ』



言われた時はまだヒバリにとって自分は食料という思いが強かったから素直に受け止められませんでしたが、今冷静になって思います。
ヒバリは毎朝山本のために眠くても起きてくれるし、約束だって守ってくれてます。
血液さらさらの番組を見ていたって、ヒバリが見ていたのはそれだけじゃありませんでした。血液さらさらと関係がなくても、“健康”と書いてある特集を見て山本に実践させていました。
何故、今まで思い出せなかったのでしょう。



「ヒバリ」
背中に呼び掛けます。
ヒバリの返事はありません。
「マジすんませんでした」
山本は床に頭をつけて土下座です。
「ホントごめん。マジごめん。もう二度とこんな騒ぎ起こさねぇ。誓います」
土下座したまま山本は言います。
ヒバリは山本を見ました。
「鼻血」
「は?」
「拭けば?」
わずかな血でも匂いがします。言われて山本はティッシュで鼻を拭いました。鼻血自体はもう止まっているようです。
ティッシュをゴミ箱に投げ捨てて、もう一度山本はヒバリに頭を下げました。
「ホントにすんませんでした」
「………」
ヒバリは山本をベッドに寝そべったまま見下ろします。
「今度、勝手にひとり怒ってこんなことがあったら」
ヒバリの言葉に山本は頭を上げてヒバリを見ます。
「君の命、あると思わないで」
噛み殺してあげると唇をつりあげたヒバリに、山本は背中に嫌な汗が伝うのを感じましたが、どうやら一件落着のようです。
「ヒバリぃー」
甘えるように抱きついて、許可がおりるより先にその唇を奪います。
久しぶりのキスは血の味がしました。
僕もう寝るからと、ヒバリがまた山本を殴って床に沈めるのは次の一瞬の話。