「蜂蜜、ある?」
ヒバリに急に言われて、山本は目をパチクリさせました。
それから「あぁ」とヒバリの言葉を認識し、考え、結論を出します。
「んー、ねぇな〜。…欲しいのか?」
そう尋ねればヒバリはこくりと頷きます。
ヒバリが血以外のものを要求するのは珍しい事です。
だから山本はヒバリが望む事はあるべく叶えてあげたいと思っています。どうせ 蜂蜜くらいたいしたものでは無いし、じゃあ今度買ってきてやるよと約束しまし た。



数日後、山本はスーパーをうろついてる最中、ヒバリとの約束を思い出します。
(蜂蜜…、ちっちぇのでいいかな)
そういえば何に使うのかも聞いて無かった。そう思いながら小さな瓶を手に取っ たのでした。
さっそく帰ってヒバリに渡してやります。
たったそれだけのことですが、なんだか何かをやり遂げたような気になってご機嫌 な山本の背後で、ヒバリは蓋を開けてスプーンを突っ込んでとろーりと蜂蜜が糸を 作るのを眺めて、ふつりと途切れたところでスプーンを口に入れました。
「………」
眉間にしわを寄せて、スプーンを口にくわえたまま蓋を締めて、山本を呼びまし た。
「ねぇ」
「ん?」
振り返った山本の視界に飛び込んだのは、巨大な蜂蜜のビンでした。
「うぉっ!」
山本は間一髪でビンを掴みます。心臓がバクバクと音を立てました。
「あっぶねーな。ヒバリぃ、なにすんだよ〜」
ビンが顔面、または後頭部に直撃するところでした。こんなものが当たったら、 まず間違いなく痛いでしょう。
ヒバリは何処となく憮然とした表情で言い放ちました。
「いらない。あげるよ」
「はぁ?」
ヒバリが欲しいって言ったくせに。
何だったんだろうと山本は目で問い掛けてみましたがヒバリは答える気がないら しく、くわえていたスプーンを流しに無造作な動作で置きました。シンクとスプ ーンがぶつかりあう音が響きます。
何処となく不機嫌なヒバリに山本は手の中にある蜂蜜を見、首を傾げたのでした 。



数日後、山本はヒバリの奇行の理由を知る事になります。
「んー?」
放り出されていた本に気付き、山本はそれを拾いあげます。ヒバリの本です。
ヒバリは本を大事にする質なのでいつもはちゃんとしまわれているのですが、何 故かその本だけ無造作に放置されていました。
ハードカバーで薄いその本は文字も大きく平仮名ばかりの子供向けです。ヒバリ は読むジャンルを問わないので図書館でなんでも借りて来ます。この間は山本に は到底理解出来そうにない分厚い専門書を読んでいました。
山本はなにとなしに手にしている本を開き中を眺めます。
「ほんとに何でも読むのな〜」
表紙に違わず子供向けのこの本をヒバリが読んでいた姿を想像するとなんだか可 愛らしいような気がして山本は口許を緩めます。
そしてとあるページに辿り着きました。そのページの文字を 目でなぞって、とある一文で止めます。そして思わず声が洩れました。
「あー…だからか…」



「俺がO型だってヒバリ知ってた?」
夕飯の時、何気なく山本はヒバリに尋ねました。
ヒバリはちらと山本に視線を向けます。
「気付いた」
今ヒバリが飲んでいるのもO型の血。これとよく似てるから。ヒバリはそう答え ます。
「やっぱ血液型によって違うもんなのな〜」
「そう大差はないけどね」
ヒバリはパックを握りつぶして最後まで飲みきります。キャップを締めて山本に 渡せば山本はそれを専用のゴミ箱に投げ捨てました。
ガコンとパックとゴミ箱がぶつかりあう音を聞き、山本は言います。
「O型は花の蜜に構造が似てるんだってな」
「………」
「でも、蜂蜜は甘過ぎたか?」
「………」
ヒバリは先日読んだ本に書いてあった事を口にした山本を見つめます。少し尖ら せている唇に山本からは不機嫌さが透けてみえます。
別にヒバリはあんな本を読んでる事を知られて不愉快な訳ではありません。山本 が口にした内容に問題があったのです。
「…甘くなさすぎたんだよ」
ぼそりとヒバリは呟きます。
「あ?」
「輸血パックに比べたらマシな味だったけど」
ちっとも似てなんかなかったとヒバリは唇を尖らせます。
「もし似てたら、君の血が月に一回でも我慢出来るかと思ったけど」
あれじゃ代わりにならないよとふてくされたように言い放ちました。
今の週一ペースでヒバリが山本の血をもらうのは山本の身体にとって良くないと シャマルに言われたのです。最低月一、もしくはそれ以上間を開けなければと。
ヒバリにはショックな現実でした。山本の血が唯一の楽しみだというのに。
仕方なくヒバリは山本の血に代わる代替品を探し始め、たまたま見つけたのが蜂 蜜だったのでした。が、それも山本の血の代わりにはなり得ませんでした。
「おれの血ってそんなに旨い…?」
蜂蜜より甘いと言われ山本は自分の腕の血管をなんとなく見ます。見たところで 自分の血の味などわかるわけもありません。他人の血の味も分からないに決まっ てます。
「美味しいよ」
だからもっと欲しいんだけど、と、ヒバリはおねだり目線を山本に向けます。
最近ヒバリはおねだりを覚えました。主に西瓜等の果物が食べたいとき、山本は ダメ、無理と答えるのが分かってる時に使うと結構成功するのです。
その視線を向けられて山本は困ったように笑います。
「ずりぃよなー。その目すんの」
「くれる?君の血」
「ちょっ、血は無理」
西瓜とかなら節約して買ってあげられますが、いくらなんでも血は無理です。
山本の言葉にヒバリはすっとおねだりお目めをやめ、今にも舌打ちしそうな程の 表情です。
余りの変わり身の早さに山本はおもしれーとまた笑います。
ふと山本の視界に蜂蜜の瓶が入り込みます。
山本はおもむろに立ち上がると瓶とスプーンを手に戻って来ます。
その様子を目で追っていたヒバリを見て笑いかけます。
腰を下ろして蓋を開け、蜂蜜を一掬い。そのままスプーンをヒバリの口許に運べ ばヒバリは素直に口を開いたので流し込んでやります。
「甘くない」
文句を言うヒバリに山本は自分も蜂蜜を舐めて言います。
「今度ホットケーキ作るから、一緒に食べような」
ホットケーキ?と首を傾げるヒバリに蜂蜜かけて食べるものと山本は説明してや ります。本当はメープルシロップのがいいんだけどとも。
「僕は別にいらないよ」
「俺が一緒に食べてーの」
山本はそう言うともう一掬い、蜂蜜をヒバリの口許に運んだのでした。