「んー…?」 山本は辺りを見回し、腕を組んで首を傾げました。 その後ろではヒバリがどうでもよさそうに月の輝く空を見上げています。 『たまにはさ、遠出してみねぇ?』 そう言い出したのは山本で、別にいいよと答えたヒバリと自転車に乗って気の向 くまま道を曲がったりしていたら、見事に道に迷ってしまいました。 「っかしーなー…」 「どうする気?」 街灯があるとは言え暗がりで山本は自分の居場所すらしっかりと把握出来ていま せん。 自転車の後ろに乗り山本の背中に寄り掛かりながらヒバリが特別苛立つでもなく 問い掛けてきました。 「んー…。まぁ大丈夫大丈夫。帰れんだろ」 頭の中に思い浮かべる地図となかなか現在地が合致せず山本は首を傾げたまま、 それでも気ままに笑ってまた適当に自転車を転がし始めました。 ヒバリはふと何かを追うように視線を空から下ろしましたが前を向いている山本 は気付きません。 夜の静寂の中、山本は背後のヒバリに声を掛けます。 「なんか冒険してるみたいでワクワクすんな〜」 「そう?別に」 「よく知ってるはずの町が全然違って見えんのもなんか新鮮な気ィするのな」 「僕には馴染みのある景色だよ」 「え、ヒバリ、ここら辺までいつも来んのか?」 ヒバリの発言に山本が自転車を止めヒバリを振り返ります。 自転車をそれなりに漕いできました。山本はヒバリの散歩コースを全て把握して いるわけではないのでこんな遠くまで足を運んでいるのかと驚きます。そしてい つも来ているところなら帰り道も知っているのではと思いました。 「…ここまでは来ないけど」 ぽつりとそう零したヒバリに山本は少し残念そうに肩を落としました。 「夜の町並みなんて何処も似たり寄ったりってことだよ」 「そか…」 少し声に脱力感がにじみましたがすぐさま気を取り直してまた漕ぎ始めます。 「………」 山本がまた前を向いたのが分かったので、ヒバリは言いかけた言葉を音にせず口 を閉ざしました。 それからまたふらふらと二人乗りの自転車は進みます。 夜もだいぶ深くなってきました。 「なぁヒバリー、もしもだけどよー」 唐突な山本の言葉にもヒバリは静かに応えます。 「何」 「もし、このまま帰れなくなっちまったら、どうする?」 冗談混じりに笑いながら山本は尋ねました。 馬鹿じゃないの、そう言われるのは覚悟の上です。ですがヒバリの言葉は思いが けないものでした。 「帰れなくなりたいの?」 ごく自然にそう言われた山本は一瞬きょとんとして、それから笑って言いました 。 「そだな〜。それも悪くねーかもな〜」 「………」 ヒバリはしばらく黙り込んで、何処と言うこともなく夜の闇を眺めていましたが 、不意に山本の背に凭れて空を見上げました。 「いいんじゃない」 「あ?」 「このまま帰れなくなっても」 「………」 山本は黙って自転車を漕ぎ続けます。ふと空を仰ぐように首を逸らして背中に感 じるヒバリの頭にこつんと頭をぶつけました。 「何」 ヒバリが視線を上にやって山本の後頭部を見ようとしましたが、山本はすぐに前 を向いていました。そして言います。 「ったく本気にすんだろ〜」 「好きにすれば」 「ん。好きにするわ」 笑みを湛えたまま、その笑んだ唇のような月の澄んだ明かりを頼りに山本は漕ぎ 進みます。 静けさに満ちた和やかな時間が過ぎ去っていきます。 ですが。 さすがに家に帰る目処がたたなければ困る頃になりました。 もしもこのまま帰れなくなってしまうのは正直構わないのです。山本の学校は休 み、バイトも夕方からですから。 ですが今の状況で夜明けを迎えてしまう訳にはいかないのです。 そう、ヒバリが日光を浴びるようなことは避けなければなりません。今は日傘な ど持っていないのですから。 困った。 山本が本気でどうしようか迷った頃、ヒバリから声を掛けてきました。 「帰るの」 「ん。でもマジに迷ってんだよなー…。まいったなこりゃ」 「次の角右だよ。僕にとってのね」 あっさり言われた言葉に、山本が思わずヒバリを振り返ります。 「………」 「何」 「ヒバリ、道知ってんのか?」 「………」 山本の呆けたような声にヒバリが少し唇を尖らせるようにして口を閉ざします。 それから少し間を置いて言葉を紡ぎます。 「知ってるんじゃなくて、…あれ」 「あれ?」 ヒバリが指差す先を山本は目で追います。そこでは闇に紛れるように2羽のコウ モリが羽ばたいていました。 「………」 「様子、見に行ってもらったんだよ。君は使えなさそうだったからね」 「………」 山本は目を瞬かせて、それから大きな溜め息を吐きました。 「なんだよー…」 そう言って自転車のハンドルに突っ伏します。 「………」 しばらくそのままの体勢でいて、それからムクッと体を起こしました。 「ってかヒバリ、コウモリと話せんのか?」 「話すっていうより、意思疎通が出来るだけだよ」 コウモリは超音波を出して障害物等々を感知しますから、その超音波で声もなく ちょっとやり取り出来たりするのです。 もちろん山本はそんなこと知りませんでした。 へぇ、としきりに感心しています。 コウモリが教えてくれた道を自転車は進みます。 そうしてまだ家まで距離はありますが、やっと知ってる道に出ました。 「これで一安心だな〜」 「別に、僕は最初から心配なんかしてなかったから」 「俺はちょっと心配してた」 マジに帰れなくなるかと思ったと笑う山本にヒバリは街灯が照らす道を見つめな がら尋ねます。 「ねぇ」 「ん」 「もし本当に帰れなくなってたら、どうした?」 「そだな〜。やっぱ朝が来ても日陰そうなとこ探すな」 とりあえずヒバリの安全を確保しなくちゃだろ〜と笑う山本に、ヒバリは自分か ら尋ねたくせに別段どうでもよさそうに「ふぅん」と返しました。 「俺さ」 しばらく間が開いて、何気なく言われた言葉にヒバリは耳を傾けます。 「ヒバリが無事でいれんなら、本気で帰れなくなってもかまわねぇって思った」 「どうだか」 あっさりとそう切替えされて山本は苦笑しました。 「信じてくんねーのな」 まぁいいけど、と言ってあと一踏ん張りペダルを漕ぐ足に力を込めました。 ヒバリはぼんやりと月を見上げます。 「………」 「ん?なんか言ったか?」 「何も」 そか、と山本はそれ以上追求しませんでした。 ヒバリは視線を下げて山本に凭れ目を閉じます。 『君がいいなら、僕は本当に帰れなくなってもよかったんだよ』 密やかに囁かれた言葉は山本には届かず、凍り付いた月明りに溶けていったので した。 |