いつもより遅い時間に散歩に行こうとしたヒバリが、不意に足を止め山本の方を 見やりました。
「今日、散歩、一緒に行かない?」
いきなりそう尋ねられた山本は目を瞬かせてヒバリを見つめました。
「は?」
「だから、散歩に一緒に行かないかって言ったんだよ」
思わず聞き直した山本に、繰り返すことを嫌うヒバリは少し不愉快そうな顔をし ましたが、もう一度同じ言葉を繰り返しました。いつもならもういいと言ってし まうでしょうに、今日は言いません。
山本は未だにヒバリの言葉が信じられず返事をしません。
「………」
「どうするの」
それに苛立ったヒバリの声に我に返った山本は慌てて返事をしました。
「あ、あぁ、行く行く。行かせていただきます」
直ぐさま腰を上げ財布と携帯電話をズボンのポケットに入れようとしましたがそ れをヒバリは見咎めます。
「携帯は置いてって」
「は?」
「携帯は、置いてって」
「………」
ヒバリがこんなに何度も同じことを繰り返してくれるなんて珍しいな、と思いな がら山本は言われた通りに携帯電話を机に置きました。
それから玄関で先に靴を履いて待っているヒバリの元へ向かいます。
ヒバリはドアを開け廊下で山本が靴を履くのを見届けると鍵を締めるのを待たず に歩き出しました。



昼間はもう夏の匂いがするのに、まだ夜は肌寒い道を二人は歩きます。
「今日はどういうルート行くんだ?」
「公園だよ」
「あれ?其処ってわりかし最後に行くところじゃなかったっけか?」
ヒバリにはいくつかのお散歩コースがあり、それは何ヵ所かを歩いて回るものが ほとんどです。いろん場所をぐるっと巡り歩いて公園で一休み、そして帰宅のコースはいく つかあったはずですが、いきなり公園を目指しているのは珍しい、と山本はまた 不思議がります。口には出しませんでしたが。
「………」
ヒバリは山本の言葉に答えずただ黙々と山本の前を歩いていきます。山本はその 後ろをついていきました。



公園についたヒバリはちらりと時計を見ます。ただ今の時刻は11:47pm。
「…座れば」
「ん、おぅ」
ヒバリが示したところはブランコ。ヒバリにとって公園で座るところはベンチで はなくブランコのようです。二人でブランコに腰掛けます。
「………」
ヒバリはずっと難しい顔をしています。
山本はそんなヒバリを気にかけながらキィとブランコを揺らしました。錆び付い たブランコがたてる音は夜の住宅地では騒音です。
ですがやることもなく暇なので申し訳程度に山本は音をたてました。
「………」
ちらりと隣りのブランコに座るヒバリを見下ろします。ヒバリは俯いて自分の爪 先をじっと見て、時折顔を上げたと思ったらまた視線を戻してを繰り返していま す。
今日は雲もなく綺麗な月が夜空に浮かぶ絶好のお散歩日和なのに、どうしたんだ ろう。山本は少し気になります。
もう一度ヒバリの方に視線をやればヒバリは顔をあげてじっと一処を見つめてい ました。
何を見てるんだろう。そう思った山本はヒバリの視線を辿ろうとしましたが、そ の前にヒバリから声を掛けられました。
「ねぇ」
「ん?」
ヒバリに視線を戻せばヒバリがじっとこちらを見ていました。
「………」
「どした?」
「………」
ヒバリはじっと山本を見つめたまま幾度か瞬きをしました。そして言葉を紡ぎま す。
「お誕生日、おめでとう…?」
そこはかとなく疑問形です。
「………」
対して言われた山本は目を丸くします。
そして時計を見ました。0:01。日付が変わっています。
23日から山本の誕生日、24日になっていたのです。
目をぱちくりさせたままの山本にヒバリは首を傾げます。
「…こう言うんじゃなかったっけ?」
先日の散歩中、山本の誕生日プレゼントを買いに行っていたツナに山本の誕生日 とこの言葉を教えてもらったのです。
僕もそういうの用意した方がいいの、と尋ねたら「おめでとうって、言ってあげ ればいいんじゃないですか」と言われたのでした。
だったら一番に言おう。山本はなんだってどうせなら一番が良いだろといっていましたから。 そのためには誰の邪魔も入らないようにしなくては。
だからヒバリは山本を散歩に誘い、遠くからでも誰かと繋がれる携帯電話からも 引き離したのでした。
山本は立ちこぎをしていたブランコにしゃがみ込みます。俯いてその表情が見え ません。
「なぁ」
俯いたまま山本が言います。
「なに」
山本が顔をあげヒバリを見れば、ヒバリはじっと山本を見つめていたので目が合 いました。
嬉しさを惜しみ無くこぼして山本は笑いました。
「ヒバリが、世界で一番に、俺におめでとうっつってくれた」
「…それが?」
「それが、すっげぇ嬉しい」
そう言ってブランコから離れた山本はヒバリの前に立ちました。ヒバリは黙って 山本を見つめています。
「なぁ」
「なに」
「手、触ってもいいか?」
「…いいよ」
そう答えれば山本はそっとヒバリの手を取り両手でつつむようにして触れました 。感触を確かめるようにその滑らかな甲を撫でます。
「…ちょっと、抱き締めてもいいか?」
山本はヒバリの手を見つめたまま尋ねます。ヒバリはそんな山本を見つめたまま 答えました。
「今日だけだよ」
「あんがと」
そっとヒバリの手をまた膝に戻すとぎゅっとヒバリを抱き締めます。
ヒバリはブランコに座っているのでヒバリの頭が山本のみぞおち辺りにあります が、山本はヒバリの頭に頬を当てます。同じシャンプーの匂いがしました。
「………」
ヒバリはおとなしく山本の腕のなかに収まっています。何かあげなきゃいけない らしいのにあげられてないから、という思いがあるのかもしれません。
山本はヒバリを抱き締めたままだんまりです。
「あー、やっべ」
「?」
何処となく鼻声の山本の声をヒバリは不思議に思います。
すっと体を離した山本はヒバリから顔を背けながら、腕で顔をこすっています。
「嬉しくて泣けてくるとか、初めてかもしんね」
赤くなった鼻で笑う山本に、ヒバリは一瞬きょとんとしましたが、「馬鹿じゃな いの」と呆れたように笑いました。
「だってヒバリがおめでとうなんて言ってくれると思わなかったもんよ。っつか 俺自身誕生日なんざ忘れてた…あー、マジ嬉しい」
「………」
いつまでもニコニコと笑ってる山本に、ヒバリはなにかプレゼントも用意すれば よかったかな、と思います。
あんなたった一言で此所まで喜ぶなんて。それに山本の半泣きとはいえ泣き顔な んて初めて見た、とヒバリは思っていました。 帰り道、ヒバリはぽつりと山本に尋ねました。

「何が、そんなに嬉しかったの」
「ん?」
まだご機嫌な山本がヒバリに視線を向ければ、ヒバリはなにやら難しそうな顔を しています。
「僕はたった一言、『誕生日おめでとう』って言っただけなのに。僕は君になに もあげてないんだよ」
ヒバリは言葉よりもの、血をもらえた方が嬉しく思うと思っているのです。
「んー…」
山本はちょっと眉を下げ困ったような、それでも笑いながら言葉を探しました。
「なんだろうな、ヒバリが俺のために、わざわざその言葉を言ってくれたってこ とが、俺は嬉しかったのな」
意味がわからないと、ヒバリが目で語れば山本は「わからなくてもいい」とヒバ リの頭を撫でました。ヒバリは一瞬振り払おうとしたのか腕に力が入りましたが 、思い直したらしくされるがままにしています。
そんなヒバリを見つめて、山本は微笑みました。
「理屈じゃねーのよ。嬉しいってのは」
「………」
どうにもまだ納得がいきませんがヒバリは口を閉ざしました。
それは山本が底抜けに喜んでいることがヒバリも嬉しいのだということに、ヒバ リはまだ気付けずにいる、ある年の4月24日の夜のことでした。