山本が風邪を引きました。 喉に引っ掛かったような咳がベッドから聞こえる度、ベッドの人形の膨らみが揺れます。それをヒバリは壁に寄り掛かり膝を抱えながら毛布一枚被って黙って見つめていました。咳の発信源、山本は咳が止まると小さく唸りながら寝返りを打ちます。 この部屋の暖房器具はストーブのみ。布団は羽毛と毛布を使っていますが薄い安物。おまけに夜寝る時は山本は窓際。冬の冷気を窓越しに感じているし、明け方布団に夜の空気を纏ったまま潜り込んで来るヒバリは体温も高くないのでひんやりとしていました。 健康が取り柄だと言っていた山本もさすがにK.O負け。昨夜から39度近い熱を出して寝込んでしまったのでした。 山本の異変にヒバリは散歩にも行かず一晩家にいました。風邪がうつったら困るから、と毛布を渡されて離れてるよう言われたヒバリは言われた通りにじっとしています。普段ならヒバリがベッドを占領していますが今日はそうも言っていられません。 太陽が上ろうとしている今も、ヒバリは無表情に山本を眺めていますが平素とは違う山本の様子に内心おっかなびっくりです。 どうしたらいいんだろう。 何をしたらいいか全くわかりません。 そうしているうちに太陽は上り、朝がきましたがヒバリはまだ起きていました。 ぐぅ…。小さくお腹がなりました。今日は山本が起きていないので朝ご飯の支度というものが出来ていません。腹減った腹減ったと主張するのも気が引けます。 けれど普段山本にまかせきりのヒバリは冷凍輸血パックのレンジでチンのやり方も知らないのです。お腹空いたな。そう思いながらヒバリは額を膝に押しつけました。 ふと、山本もお腹が空いているのではないかと思い当たり、また視線を山本に向けました。すると寝返りを打ってヒバリの方を向いた山本と目が合いました。山本のどこかぼんやりとした普段と違う目にヒバリは少しびっくりしましたが顔には出しません。 「あー…ヒバリ、腹減った?」 掠れた声で山本はそう尋ねて、ヒバリの答えを聞く前に体を起こしてベッドから降りようとしました。ふらふらとしていて危なっかしいです。 「別に大丈夫」 ヒバリは思わずそう言っていました。山本はふわふわとしている視線をヒバリに向けて、「ほんとに?」と尋ねます。ヒバリは黙って頷きます。 「そっか」 山本はまたベッドに横になりました。 「………君はお腹空いてないの?」 ヒバリは膝を抱えたまま山本に尋ねます。 「俺?俺はぁ、…別に空いてねーなぁ。食欲ねーかも」 「…そう」 空いていると言われても困りましたが、空いてないと言われてもなんとなく困ります。 どうしよう。 ヒバリは考えます。 「!」 ヒバリは思い付きました。 人間のことは人間にまかせるのが一番。 ヒバリはさっそく前に使い方を習った『携帯電話』でツナを呼び出したのでした。 突然呼び出されたツナはリボーンを連れてきました。ヒバリに呼び出されたので、一人ではおっかなくて来れなかったのです。 戸惑いながら部屋に入ってきたツナでしたが、山本の様子を見ると慣れないながらテキパキと動きました。 毛布や冷えピタ、風邪薬を獄寺に頼み自分は冷やしたタオルを山本の額に当ててやったり何か簡単に作れるものの準備に取り掛かったり。 その様子をヒバリはやはり壁に寄り掛かり膝を抱えたまま、温めてもらった遅い朝食の輸血パックを飲みながら眺めていました。 隣りにはリボーンがちょこんと座り込んでいます。リボーンは輸血パックを吸っているヒバリを見て尋ねました。 「うまいか?それ」 「マズいよ。飲む?」 「いらねーぞ」 「そう」 普段ならリボーンに対して「好き好き」な空気を隠さず口を開けば「血吸わせて」なヒバリですが、今日はぼんやりと視線を山本に向けてリボーンの方をあまり見ません。 「そんなに山本が心配か?」 「…別に」 「隠すことねーぞ」 「別に」 ヒバリは視線を動かしません。飲み終わった輸血パックを握りつぶしたまま手に力を込めています。 ツナや獄寺たちが山本の看病をしている様が、ヒバリにはどこか遠くで行われているような気がしていました。 なんだか手の届かない世界のような。 「ねぇリボーン」 ヒバリはリボーンを見ずに声を掛けました。 「なんだ?」 「君の血吸っていい?」 「ダメだぞ」 「ケチだね」 「ダメなもんはダメだ」 「ケチ…」 やりとりの間、ヒバリはやはりずっと山本を見つめていました。 一通り必要な物を揃え、やることを終えて3人は帰ってしまいました。 看病しようかとツナは山本に尋ねましたが、ツナにはツナの用事もあるだろうからと山本が断ったのです。 また室内はヒバリと病人山本だけになります。 ヒバリは昨日の夜に活動を開始してから何もしていない代わりに一睡もしていません。ずっと壁に寄り掛かって山本の様子を見ていました。 そういえば山本に近付いてもいないことにヒバリは気付きました。 「………ん」 山本は近くに気配を感じて目を開けました。 すごく間近にヒバリの顔があり、目が合いました。 「…ヒバリ、風邪うつったら困るから近寄っちゃダメっつったろ」 「大丈夫だよ」 根拠はありませんでしたがヒバリはそう言い切りました。 だいたいツナたちが近寄っていたのに自分がダメなんておかしいとヒバリは思っていましたが、今はそんな風にゴネても仕方ありません。 山本もそれ以上は何も言いませんでした。 「………」 ヒバリはベッドの縁に肘を乗せ、その上に顎を乗せて山本を見つめます。 そっと手を伸ばして熱をもった頬に触れれば、山本がうっすらと目を開き笑いました。 「…つめてぇな…」 「嫌?」 「んーん。すっげー気持ちいい…」 「…そう」 ヒバリは赤らんだ山本の顔を見つめます。押しつけた手のひらをひっくり返したり指先で触れてみたり、熱が移るたびに触れ合う場所を変えていきます。 「………」 ヒバリは山本の額に貼られている冷えピタをじっと見つめました。 それから側に置いてある水と薬に視線を移します。全部ツナと獄寺が置いていったものです。ヒバリは何もしていません。 「………」 胸にわだかまる気持ちが何なのか、ヒバリにはわかりません。だけどとにかくもやもやするのです。 無意識に唇を少し尖らせてるヒバリに気付いた山本が困ったようにヒバリに笑いかけます。 「ごめんなー…迷惑かけて」 「…別に」 迷惑だなんて思ってもみなかった自分に、ヒバリは内心驚きました。欠片もそんなこと思い当たりませんでした。 何故でしょう。山本が何も出来ないというのはヒバリにとって迷惑極まりない状況なのに。 眠っている山本を見つめながら、ヒバリは自問自答します。 「………」 けれど結局答えが出ないまま、昨夜よりも穏やかな山本の寝顔を見つめているうちにヒバリも眠くなってきました。普段ならとっくに寝ている時間です。瞬きを繰り返して眠気に抵抗していましたが防戦一方。ついに陥落してしまったのでした。 先に目を覚ましたのは山本でした。ぼんやりしたまま目を薄く開きます。なにやら薄暗いのは焦点の合わない目でも感じ取れました。瞬きをして視界をクリアにすると、真っ黒なヒバリの頭が目に入りました。山本はちょっとびっくりです。 「………」 体を少し起こしてヒバリの顔を覗きこめば普段のように寝息すら聞こえないほど静かに寝ています。 間近にあるヒバリの寝顔を見下ろしていると山本の気配に気付いたのかヒバリが目を覚まします。どうやらいつもより眠りが浅かったようです。 「オハヨ」 「…もう起きてていいの?」 熱は?とヒバリはツナがやっていたのを真似して山本の額に触れましたが、冷たい自分の手では熱の高低など感じ取れません。 「………」 ツナたちのように振る舞ってみたかったのにうまくいかなくてちょっと唇を尖らせたヒバリに山本は笑いかけました。 「ヒバリ、一緒に寝るかー?」 「…寝る」 いつものように窓際に移動しようとした山本に制止の声をかけ、ヒバリは山本をまたいで普段山本が寝ている方に寝っ転がります。 普段と位置が逆なだけで、なんだか落ち着かねーなと山本は笑いました。 普段なら背中合わせで眠る二人ですが、普段の向きで位置が逆な今は互いに向き合っています。 「ヒバリ、そっち寒いだろ。なるべくこっち来いよ」 山本はずりずりとベッドの端に移動してヒバリのスペースを作ります。 山本の言葉通り、窓1枚とカーテンを隔てただけの窓際は冷たい冬の空気がひしひしと伝わってきて、ヒバリは山本がいつもこんな寒いところで寝てたんだと初めて知ったのでした。 「あんまり端に行くと落ちるんじゃない」 「ははっ、気ぃつける」 言われるがまま距離を詰めて、いつもよりちょっと高い山本の温度を感じます。 山本が風邪を引いたから。 位置がいつもと逆だから。 窓際は寒いから。だから距離を詰めるだけ。 いつもより近い距離に心の中で言い訳をたくさん並べて、ヒバリは山本の温もりを感じたまま眠りに落ちたのでした。 |