悲鳴、銃声、血の匂い。
今一つの中小マフィアのファミリーが、たった4人の手によって滅亡を迎えようとしていた。


建物内の死者が生者の数を上回った頃、骸とランチアはある部屋にいた。
「…此処は、もう誰もいないな…」
見回してランチアが呟く。其処にはもう二人しかいないと思われたが、骸は室内を見て足を止めた。部屋を素通りしようとしたランチアはそんな骸の様子に一瞬心臓が凍る気がした。
「―――………」
ランチアが何か言葉をかけるより先に骸は室内に入った。黙り込んだままわざと足音をたてるようにしていた。ランチアの心臓が高鳴る。

骸が不意に視線を棚に向けた。

次の瞬間、棚から飛び出したのは銃弾だった。サイレンサーが付いていなかったのか、派手な銃声が響いたが、弾は骸には当たらず側の机に当たりまた音をたてた。
骸は棚から視線を逸らさずに微笑を浮かべ、思いきり棚の戸を蹴り破った。
「………っ!」
壊された棚の扉の奥にいたのは、銃を握り締めた少年だった。恐怖を感じているのだろう。全身震えさせながら、それでも懸命に骸を睨み付けてまた骸に銃口を向ける。
揺れる両手に不釣り合いな大きさの銃はまったく狙いが定まらない。
「隠れていろとでも言われたんですか?姿を隠したところで、そんな殺気を放っていたらバレバレですよ」
残念でしたね、と骸は子供に笑いかけると、手を伸ばして子供を力づくで棚から引きずり出し床に放り捨てた。引っ張られた衝撃で子供の手から銃は離れてしまってもう届かない。
抵抗の手段を無くした子供はそれでもまだ骸を憎悪に満ちた目で睨み付けている。骸はその視線を微笑みをたたえて受け止めながらも、ふぃとランチアに視線を向けた。
「…貴方がこの子供に気付いていない訳、ありませんよね?」
「………」
問い掛けられて、ランチアは肯定を示すものだと分かりながら、目を逸らして沈黙で返した。
見逃してやりたかった。それが事実だ。棚に誰かがいるのは気付いていたが、大きさ的に両手あれば足りる年齢の子供だと見当は付いた。見逃して、やりたかった。
「まぁ別に構わないんですけどね」
骸の表情に変化は無い。骸は子供を一瞥して、子供から興味なさげに視線を逸らして子供に背を向けた。部屋の戸の方へ足を進めたのでランチアは骸が子供を見逃すのかと一瞬思った。そう、ほんの一瞬。
骸はランチアの真横で足を止めた。ランチアの高い肩に手を乗せて、そしてゆっくり、けれどはっきりと、その言葉を紡いだ。
「殺してください」
何を言われたのか理解出来ず、ランチアは骸を見た。
骸は血腥く埃っぽいこの場に不釣り合いな程優しく微笑んでいる。笑みを形作る唇から、再び残酷な言葉が零れた。
「殺してください。貴方が。早く」
「…子供だぞ」
まだ子供と分類される骸よりもさらに幼い。そんな命を奪うのはランチアにはためらわれる。そもそもランチアには殺す理由もないのだ。ただ骸が望むから。それだけの理由で年端もいかない子供を殺すなどランチアにはできない。
ランチアの苦悩をよそに、骸は笑っている。
「それがどうしました?僕が殺せと言ってるんです。早く殺してください」
「………」
ランチアは動かない。己の拳を握り締めたまま、唇を噛み締めている。
「貴方は僕だ。僕の思う通りに動かなくちゃならない」
囁くような骸の一言一言がランチアの心に重くのし掛かってくる。

「殺してください」

ランチアは動かない。骸はしばらくランチアを見つめていたが、仕方なさそうに溜め息をつくと浮かべる笑みの種類を変えた。まったく困った人ですね、そう表情が語っていた。
「少し話題を変えましょうか」
子供にひとつひとつ物事を教えるように、優しく諭すような口調だった。
「マフィアが重んじるものはなんですか?」
骸はじっとランチアの目を見つめたまま、ランチアに体を凭せ掛ける。ランチアは黙って骸の言葉を聞いている。視界には骸の姿が嫌が応にも入っている。真っ直ぐな視線を感じる。
「伝統、血統、掟に栄光。僕は興味ないのでよく知りませんが、まぁこんなところではありませんか?」
骸が子供に視線を向けた。つられてランチアも子供に目を向ける。
「あの子はマフィアの血を引く者です。僕はマフィアを全員殺す。だからあの子も殺す」
明確でしょう?と微笑む骸にランチアは苦々しい表情で絞り出すように呟いた。
「それだけの理由で…」
その言葉に、骸が笑顔を消した。
「貴方たちマフィアはただそれだけの理由で子供を殺せるじゃありませんか」
骸が自分の足で立った。ランチアの肩に手を回して、優しい声色で、放つ最終宣告。

「これが最後です」

「殺してください」

ランチアが気が付いた時、目の前の子供は絶望的な血の中で倒れていた。自分の手や服は、まだ生暖かい血で汚れていた。
隣りにいる骸は自分とは対照的に綺麗なまま、残酷なまでに優しい笑みを浮かべていた。



アジトにしている廃屋の一室で、ランチアは一人部屋の隅に座り込みうつむいていた。そっと部屋に入ってきた骸に気付いてはいたが、特別何の反応も返さなかった。
骸はランチアの前にしゃがみこみ、顔を覗くようにして問い掛ける。おかしそうに、笑いながら。
「いたいですか?くるしいですか?」
何処が、とは骸は尋ねなかった。頭が痛い、お腹が痛い。そんな答えが返ってくるとは思ってはいないし、そもそも答えなど期待していない。
そして思った通り返事がないことに笑みを一層深くする。
「僕は痛みを感じない。けれど僕が痛みを感じた時は、きっと貴方も痛いんでしょうね」
立ち上がってうなだれているランチアを見下ろす。手を伸ばして、骸はそっとランチアの頬に触れた。愛おしむように優しく、優しく頬をなぞる。
そして、はっきりと現実を告げた。
「僕の痛みは貴方のものでもあるけれど、貴方の痛みは僕のものじゃない」

「貴方は僕だけど、僕は貴方じゃないんです」

貴方の痛みなど、僕に分かる訳がない。




『いつの日に見失った心は繰り返す忘れ去られた罪を。』